マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング(上京恵訳)『リバタリアンが社会実験してみた町の話 自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』(原書房)

タイトルを見て、リバタリアン自由至上主義者)たちが集まって町をつくったけれど、結局公共サービスがぐだぐだになって、うまくいかなかった、って話だろうな、と思いながら、勉強のために購入。

予想に違わず、リバタリアンたちの町づくりは失敗するのだれど、その過程が予想に反してめちゃくちゃおもしろい。

 

舞台はアメリカ北東部ニューハンプシャー州の森に囲まれた小さな町・グラフトン。
ここの住人たちは、アメリカ建国の歴史にまでさかのぼれるくらいの、大の政府嫌いの税金嫌い。これに目をつけたリバタリアンたちが、2004年からこの町に集まってきて暮らし始める。

ただし、町の予算執行についてはうるさいリバタリアンたちも、その「自由」の中身はバラバラなので、統治勢力として一枚岩にはなることはない。その結果、火事が起きても消火が間に合わず、リバタリアンのリーダーが犠牲となってしまった、

リバタリアンと並ぶ主人公は、熊である。
森に棲む熊は、しばしば人里に現れる。そして人里の食べ物の味をしった熊たちの行動は、どんどんエスカレートしていく。
しかし、連邦政府や州政府の方法で熊を駆除することに、リバタリアンたちは抵抗する。彼らが頼れるものは銃にほかならず、一方で熊に餌をやる自由を行使する住民も現れる。住民の中に熊の犠牲となる者が現れても、リバタリアンたちは熊への対策を確立することができず、結局彼らは熊におびえながら暮らすことになる。

リバタリアンの中には、フリー・タウンでは満足できず、フリー・ステートを主張する者も現れる。その結果、ニューハンプシャーにはグラフトン以外にもリバタリアンたちの町ができていく。中には、少しだけ政府の規制を受けれる妥協をすることによって、熊を捕獲して森に返し、熊の脅威を取り除くことに成功した町も出てくる。この町はグラフトンとは違って、人口が増え税収も増えていく。

最後には、グラフトンのリバタリアンたちは、次々とグラフトンから脱出していった。2016年から17年ごろのことである。静かな田舎町に戻ったグラフトンの住民たちは、やはり政府に抵抗するという道を選びながら、森に侵食されて静かに朽ちていくことを選んだように見えた。

 

なお、原著のタイトル " A LIBRETARIAN WALKS INTO A BEAR : The Utopian Plot to Liberate an American Town (And Some Bears) " の方が、中身をはっきりと表していてわかりやすい。

折も折、本書の中には統一教会の信者たちも登場する。
ただし、その書かれ方がかなりかわいい。他の住民たちの特異性の方が目立つくらいアメリカにはいろんなキリスト教新宗教が存在するってことなのだろうか。あるいはアメリカの統一教会は日本のように壺を売りに来ないのだろうか。

(こ)