角川書店編『枕草子』(角川ソフィア文庫)

何度かこのブログで紹介している、つるまいかだ『メダリスト』。アニメのオープニング主題歌が、なんと米津玄師に決定! しかもこれ、米津玄師が原作の大ファンで、アニメ化されるとの情報に接して自分の方から打診したという。すごいなぁ。

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「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典シリーズ」から『枕草子』を読んでみた。

言わずと知れた、清少納言の筆による随筆である。

一条朝における中宮定子のサロン。高度に洗練された人々が集う。清少納言はそこでの華やかな日常や機知に富むやり取りを記録し、またサロンに生きる人々にとって何が「をかし」(すばらしい、すてきである)といえるのかをひたすら書き連ねた。

描かれている中宮定子は、華やかで、気品があって、頭も良い。これにお仕えする清少納言も、基本的には陽キャである。たまに人の悪口も言ったりするけれど、どこかカラッとしていて、湿り気がない(この点、紫式部日記とは対照的である・・)。

清少納言が定子に仕え始めたのは993年。翌994年から995年にかけて、定子のサロンは最も華やかな時機を迎え、また中関白家(なかのかんぱくけ)は栄華を極める。「香炉峰の雪」(284段)や「草の庵」(78段)もこの頃の出来事とされる。

しかし、同年、関白・藤原道隆が病死し、翌996年には定子の兄の伊周・隆家の従者が花山院に矢を射るという事件が起こり(「光る君へ」では隆家が自ら矢を射っていた)、兄弟は左遷され、定子も落飾。孤立無援となった。

清少納言が「枕草子」の草稿本を書いたのは、この頃ではないかと言われている。このきらびやかな随筆は、栄華の絶頂期ではなく、むしろ凋落した後に書かれたものであった。

清少納言の宮仕えの中で、中関白家の栄華はわずか1年半にしかすぎなかった。しかしながら、彼女が描いた「枕草子」の世界は、いつまでも輝きに満ちている。


(ひ)

青山美智子『人魚が逃げた』(PHP研究所)

調べてみたら、青山美智子さんをこのブログに上げるのは、これで8作目らしい。
ファンなので許してください。

本作もまた、いつもの青山美智子の世界。
舞台はある日の銀座の歩行者天国。逃げた「人魚」を探す「王子様」に出会った5人の、回復の物語。

いつもと違うのは、第5話での伏線回収が「あ~」じゃなくて「あっ!」となって、さらにエピローグで「えっ??」となったことかな。

本屋大賞直木賞シルバーコレクター、今回はどうかな。

(こ)

『更級日記』(原岡文子訳注・角川ソフィア文庫)

大河ドラマ「光る君へ」に菅原孝標女が登場すると発表された。後に『更級日記』を書くことになる女性である。

更級日記』は江國香織さんの現代語訳で読んだことがあったが(当ブログでも紹介した)、この際ちゃんと読んでみようと思い、手を出した。

まずはいつものように「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズから川村裕子編『更級日記』を読むことに。毎度毎度のことながら、たった数百円で古典作品の基礎が分かるというのは、奇跡に近い。

そしていよいよ原岡文子訳注『更級日記』へ。

一度は現代語訳を読んでいることから、今回は「脚注だけで原文を読む」ことにチャレンジしてみた。

上総の国で育った作者。姉や継母から話を聞いた「源氏物語」を読んでみたくてたまらない。やがて都に上り、そこでついに「源氏の五十余巻」を入手!(ちなみにこれが、源氏物語の巻数の最も古い記録だという。)

源氏物語を読みふける彼女だが、そこであこがれるのが紫の上や明石の君とかではなく、「夕顔」や「浮舟」だというのが興味深い。脚注を見ると「夕顔や浮舟は、身分の上でも、作者が現実に感情移入しやすい女君だった」とある。なるほど。

以後、継母とのお別れ、猫との出会いと別れ、そして姉の死亡など、様々な出来事が彼女に降りかかる。また、宮仕え、そして突然の結婚と、彼女自身の人生も大きく動いていく。

晩年は宗教への帰依とこれに伴う悔恨・・・だが、他方で物語や歌に対する関心も垣間見える。

・・・というわけで、原文で全部読みとおした。とはいっても実は脚注だけで読めたのは前半から中盤にかけてまでで、後半は「主語が分からん!」「これどういう意味?」「そもそもどういう状況!?」の連続で、しばしば現代語訳も参照した。

孝標女は、清少納言紫式部のようなスーパー天才でもないし、藤原道綱母のような最高権力者の妻というわけでもない。むしろ目線は僕らに近く、どこかに書いてあった「オタク気質の文学少女」というのがぴったりくる。とはいえその日記文学が1000年後まで読み継がれるというのは、やっぱりすごい。


(ひ)

猪口孝『現代政治学叢書1 国家と社会』(東京大学出版会)

日本の実証主義政治学の発展は、猪口孝先生がいなければありませんでした。
村松岐夫大嶽秀夫両先生との雑誌『レヴァイアサン』刊行と、創刊号での鼎談「戦後日本の政治学」は、政治学を学んでいた自分のよりどころでもありました。
現代政治学叢書は何度も何度も読みました(いろいろあって全巻刊行されたのはずいぶんと後のことになりましたが)。

 

先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
合掌。

(こ)

山口未桜『禁忌の子』(東京創元社)

今年は新人作家の当たり年かも。そう思わせるミステリである。山口未桜『禁忌の子』。

市民病院で働く救急医・武田航。ある夜に運ばれて来た死体は、なんと彼とそっくりの顔をしていた――。

作者は現役の医師。本作で鮎川哲也賞を受賞してデビューしたのだが、デビュー作とは思えないほど完成度が高い。ストーリーはもちろん、ミステリなのである程度は先を予想しながら読んだりするのだけれど、かなりの確率で裏切られる(もちろん良い意味で。)。

ちょっと驚いたのが、ページの組み立て方にも配慮が行き届いているところ。「ページをめくると驚きの展開が!」みたいな感じ。作者のX(旧Twitter)を見てみると、そうなるように計算して1年以上改稿を繰り返したとある。・・・この人、とんでもない新人だよぉ。

全て読み終えて裏表紙をみると、オビに次回作のお知らせが。こちらも、あらすじだけで「読みたい!」と思わせるものがある。


(ひ)

広中一成『傀儡政権』(角川新書)

 サブタイトルは「日中戦争、対日協力政権史」。

 ちょっと華北分離工作について調べることがあって、高校日本史の教科書には出てこないような小さな小さな現地政権が多数存在したことを知る。本書はそうしたあまたの現地政権の成立と変遷を、時系列を追って平易な文体で記述する。

 日本軍が大陸の奥深くに進出するに従い、都市ごとに日本軍主導の自治政権を樹立していった。それらを束ねた大きな政権が、冀東政権であり、華北中華民国臨時政府であり、華中の中華民国維新政府であり、それらをまとめたものが中華民国国民政府(汪兆銘政権)であった。

 彼らは決して、日本軍の力を背景に政権を樹立して権力を手に入れようとしたのではなった。当然、共産党と連携するくらいなら日本と手を結ぶべきと考えることはあったし、実際に蒋介石は一時期そのつもりだったはずだ。ただ、治安を維持し市民の安全を確保するためには、日本と手を結んで政治を安定させることは、選択肢のひとつであったことは間違いない。次々と樹立される傀儡政権のひとつひとつの裏側に、苦渋の選択があったのだ。

 巻末において「傀儡政権」に加わった人たちのその後が書かれて、本書の記述は幕を閉じる。日本の敗戦後、「漢奸狩り」が行われ、600人が逮捕された。裁判での態度は人それぞれであった。処刑された者の死体は公開され、大衆の憎悪の対象となったという。

 自分だったら日本軍を前に徹底抗戦しただろうか。犠牲を少なくするために和平交渉の手段として傀儡政権を受け入れただろうか。
 徹底抗戦に踏み切ったゼレンスキーが正しかったのかどうか、プーチンの前に屈していればウクライナはあれほどの犠牲を払わずに済んだのだろうか。トランプの返り咲きでウクライナパレスチナもどう考えてもいい方向には向かいそうにない。
 昨日、ウクライナのミサイル攻撃への報復として、ロシアから核弾頭搭載可能な超音速ミサイルがウクライナに向けて発射された。何が正解だったのかは、歴史の審判を待つしかないのだろうが、それでは遅いのだ。

(こ)

近藤絢子『就職氷河期世代』(中公新書)

これも気になっていたので読んでみた本。近藤絢子『就職氷河期世代』。

就職氷河期世代とは、1990年代半ばから2000年代前半にかけて、バブル景気崩壊後の経済低迷期に就職した世代をいう。本書は、就職氷河期世代について、大規模な統計データを用いてその動向を客観的に捉えようとした意欲作である。

これまでにも就職氷河期世代についての書籍はあったが、その多くはルポルタージュ形式を取っていた。本書はこれらとは違い、徹底してデータの分析を行うというところにその特徴がある。

本書で提示されているデータの分析結果は、それはそうだろうと思われるものからやや意外に感じられるものまで様々である。

例えば、統計データによれば、就職氷河期世代は上の世代に比べ、長期にわたって雇用が不安定で年収が低い(イメージどおりである。)。では就職氷河期世代よりも下の世代はどうかというと、これらが回復したわけではなく、実は雇用が不安定で年収が低いままであるという。

家族形成についても、漠然としたイメージだと、若い世代になるに従って、産む子供の数も少なくなるようにも思われたが、実際は必ずしもそうではない。むしろ、就職氷河期の後期世代に当たる1970年代後半~80年代前半生まれは、そのすぐ上の団塊ジュニア世代よりも、40歳までに産む子供の数は多くなっている。

他にも、女性の働き方や、世代内格差、地域による影響の違い等についても、本書は統計を駆使してその動向を明らかにしていく。

それにしても統計の分析にかける筆者の労力にはすごいものがある(専門家なので当たり前なのかもしれないが。)。ある問題意識に基づき、適した統計資料に当たり、それを分析し、そして仮説を立てる――基本的にはこの繰り返しである。気の遠くなるような作業でもあるが、おかげで漠然としたイメージに囚われない、より正確な「姿」が明らかになっていく。


(ひ)