想田和弘『演劇1、演劇2』(紀伊國屋書店)

映画『急に具合が悪くなる』で二人のヒロインが出会ったのはフランスの小劇場で、それを見てこのドキュメンタリーを思い出した。
監督の想田和弘は、映画『精神』で精神科診療所に通う患者をモザイクなしで撮り、その次に撮ったのが『演劇』だった。
撮影対象は、平田オリザと彼が主催する劇団「青年団」。平田は1990年代に「現代口語演劇」(いわゆる「静かな演劇」)というスタイルを編み出した劇作家・演出家である。撮影されたのは、東日本大震災前の2008年。6時間という超長尺となったため(それぐらい残したいシーンが多かったのだ)、『演劇1』『演劇2』と分割された。


『演劇1』は「平田オリザの演劇」。稽古の場面が延々と続く。演出の平田は頻繁にストップをかけ、細かい指示を出す。役者はひたすら修正を繰り返す。緊張感が漂うが、最後にはご褒美も用意されている。公演では、俳優も含め総出で舞台を組み上げ、終わったらこれまた総出で撤収する。
稽古の合間に、平田は戯曲書き、中学生のワークショップ、講演、採用面接、はたまた会計など雑用も。

これを見ると、平田の演劇の方法論がなんとなく理解できる。


『演劇2」は「演劇と社会」。一つ一つ挙げると、民主党の若手議員との交流、地方の中学校でのモデル授業、教員への指導、学会での特別講演、演劇祭での市長や知事とのやりとり、文化庁への予算申請。「世界初」のロボット演劇ではエンジニアや企業とのやりとり、フランス公演では俳優のギャラの交渉も。

演劇がいかに広い世界と接点を持ちうるかを示している。

ロボット演劇の稽古では、ロボットに「セリフの間を1.5秒延ばして」「顔を下に向けるのは無しにして」など指示を出し、そのたびにエンジニアがあたふたとプログラムを修正する。ロボットの充電時間が俳優の休憩時間になる。阪大でのお披露目公演には、当時の総長の鷲田清一、ロボット工学の石黒浩博士、平田に私淑していた本広克行監督、そして当時の平田夫人の姿があった。


10年前の夏休みにこのドキュメンタリーを5回くらい観て、休み明けに職場に行くと、そこが演劇の舞台のように見えたのを覚えている。
そして、小劇場演劇を少しずつ見に行くようになった。距離の近さ、ライブ感が気に入った。青年団の公演のクオリティは際立っており、チケットの安さを申し訳なく思う。


撮影から18年、平田が深くコミットした鳩山内閣は短命に終わった。東大駒場キャンパスのそばにあったアゴラ劇場は2024年に閉館となり、青年団は兵庫県豊岡市に移転した。
豊岡・城崎は観光の町でもある。この町に芸術と観光の県立大学が開設され、学長に就任したのが平田である。これからの日本の稼ぎ方を示してくれることを切に祈る。

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(は)

吉川真司『飛鳥の都』(岩波新書)

今年9本目の劇場映画鑑賞は、映画『ちいかわ』。
小さな島を舞台にした、「罪と罰」の物語であった。

「ほんとに・・・正しいんだよね?」(ハチワレ)

どうすれば良かったのか。何が「正義」なのか。本作品の問いかけは、映画終了後も続く・・・!?

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吉村武彦『ヤマト王朝』に続く、岩波新書「シリーズ日本古代史」の第3弾である。吉川真司『飛鳥の都』。

本書では「飛鳥時代」、すなわちおおむね7世紀における日本の姿を描き出す。

まずは飛鳥寺の創建で幕を開ける。588年(崇峻元年)に建設が始まり、596年(推古4年)に竣工したこの寺の創建には、百済と高句麗の援助が欠かせなかった――として、6世紀後半から急速に動き出したアジアの国際情勢の解説に入っていく。

遣隋使・遣唐使によってもたらされた文明。大化の改新・白村江の戦い・壬申の乱などの政治的激変。その中で打ち立てられていく中央集権国家。7世紀は激動の時代でもあった。

基本的には通説に拠りつつも、ところどころで著者の見解を差し挟んでいるところがまた面白い。例えば681年(天武10年)。この年は、天武天皇が浄御原令編纂の勅命をはじめとする重要な命令を次々と発し、国家体制を体系的に整備していったのであって、これは倭国にとって「天武10年の転換」ともいうべき大きな転換点であったという。背景にはアジア広域における変動があって・・・と、著者による興味深い語りは止まらない。


(ひ)

朝倉かすみ『けんぐゎい』(光文社)

朝倉かすみさん、初めて手にした作家さんでした。

直木賞を取った『けんぐゎい』は、舞台は江戸時代。全身に疱瘡の跡がある主人公の女性が性格も性癖も歪んだ男にレイプされて妊娠させられる話が話の折り返し点。人権なんてない時代、ましてや身分の低い女性であれば。
そして主人公はほんとうの師と出会い、最後は観音様かマリア様かみたいになる。
不協和音が響き続ける中で内臓をえぐられるような、えぐい舞台設定の中だからこそ、たとえ「圏外」という境遇にあっても自分を生きようとする名もなき女性たちが光って浮かび上がるという構図でした。泥に咲いた蓮の花という感じ?
筆力のある作家さんだというのはわかったけれど、個人的にはしっくりとこなくて・・・。

それで、おかわりをしてみようと選んだのが『平場の月』。
映画になったことはかすかに記憶していて、本屋で手に取ったらブックカバーが映画版で、堺雅人と井川遥が表紙を大きく飾っている。
予告編見たことあったよな、自転車二人乗りするやつや、たしか。

こうなると、ノベライズされた映画と同じで、小説を読んでいても、青砥と須藤ではなく、堺雅人と井川遥の声でセリフが脳内で再生され、ふたりが脳裏に登場する。

いろいろと感想はあると思うが、本を読み進めながら、ぼくには堺雅人と井川遥は、自分の中でしっくりとこなかった。須藤は言葉遣いもぶっきらぼうなのだが、それが井川遥では再生できない(映画ではちゃんとやっていたようだが)。
ぼくは、美男と美女が繰り広げる美しく切ない大人の恋じゃなくて、「平場の」ほんとうに名もなき男と女の小さな恋の話として読みたかったし、読みました。作中にリリー・フランキーの話をするシーンが出てくるのだけれど、いやいや、それなら堺雅人よりもリリー・フランキーの方が自分としてはいいと思うし、井川遥じゃなくてたとえば木村多江じゃないかなぁ・・・と、そういうことをずっと考えながら読むことになりました。
ストーリー自体は、可もなく不可もなくというか・・・。

『けんぐゎい』に関連して作者の朝倉かすみさんが、『平場の月』との共通点として、ふゆも須藤も「自分の人生に集中している人たち」という表現を使っているのを見ました。
なるほど、彼女がペンを通して魂を吹き込んだ女性は、自分を生き直すんだな。そして中からじわりと輝く。

(こ)

綾辻行人『心の闇』(講談社文庫)

今回の直木賞は朝倉かすみさんに決定!
凪良ゆうさん、残念でした・・・でもまだまだ次があるはず!!

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先週紹介した講談社文庫「STORY IN POCKET」シリーズ。赤川次郎さんの『あしたの寄り道』がかなり良かったので、今度は綾辻行人さんのを読んでみることに。タイトルは『心の闇』。

全4編の作品を掲載した短編集である。

冒頭の表題作「心の闇」は、日常に潜むちょっとした怪異。ラストが意外で、後を引く。

面白かったのは第3作の「どんどん橋、落ちた」。タイトルだけは知っていたこの作品、今回初めて読んだのだが・・・

・・・なんじゃそりゃあ(笑)。

あまりの衝撃にクラクラしながら改めて読み返してみると、ヒントあり伏線ありで、これがまたしっかりとしたミステリ(笑)。う~ん、やられた。

第4作は「再生」。一応はホラー小説に分類されるのだけれど、そこは綾辻さん、ただでは終わらせません。衝撃のラストへ一直線。

カバー装画はおなじみの遠田志帆さん。相変わらず、見る者の心に直接訴えかけるようなイラストである。


(ひ)

上久保誠人『煽動政治』(三省堂)

皇室典範はおかしいし、国旗損壊罪もひどい。中学高校の政治の授業は教科書が現実に追い付いていないので、もうどうしたものかわからない、と授業でぼやいていたら、「変わる前はこうでした、ということでいいんじゃないですか?」と冷静に生徒に指摘された。2026年は日本の歴史にはどう記録されるのか。

本書はこの半年間のモヤモヤをきれいに言語化してくれた本である。

本書はまず、日本国民全体の7割を占め、日本の政治を動かす「普通の人々」である「サイレント・マジョリティ」の存在を指摘する。

かつての自民党は、包括政党として、あらゆる人を包み込む「シェルター」の役割を果たしていた。野党の政策を丸呑みして争点を消しながら社会の安定を守りつつ、地方への分配によって岩盤支持層を獲得した。しかし、今や地方は疲弊し、都市に流れ込んだ人々もバブル後の長引くデフレ経済においてシェルターから放り出された。こうして生まれたのが、生活実利を求め続ける「サイレント・マジョリティ」である。このサイレント・マジョリティが吹かせた風を受け止めたのが高市早苗という人であり、「高市自民党は、もはやかつての自民党ではない」と著者は断言する。
この展開は『ヒルビリー・エレジー』を思い出させる。ただしあれはアメリカの地域経済が崩壊した地方のやり場のない感情の噴出として描かれたが、こちらは少し違う。

安倍長期政権は、右派のナショナリズムを適度に満足させながら、左派の主張する分配政策を採用するという、絶妙な政治バランスの上に成り立っていた。しかし、安倍が凶弾に倒れたことで、このバランスが崩れ、自民党の迷走が始まる。そこに現れたのが「煽動政治」である。石破の判断ミス、高市に吹いた神風、その結果としての2026年2月総選挙の自民圧勝であった。興味深かったのは、「石破おろし」の中、実は石破続投が多数派となりつつあったにもかかわらず、総裁選公示2日前に石破が自らおりてしまったという、最後の最後に石破らしい淡白さというか政治センスのなさを発揮したというところである。石破があと2日粘っていれば、日本に「保守中道政党」が誕生した可能性はあった。また総裁選でトップではなかった高市が最終的に勝利したのも、想定外だったようだ。当初は本命でなかった習近平がするするっと最高権力者の座を射止めた流れも、そういうものではなかったか。

筆者の見立ては、日本の政治は「社会安定党」と「デジタルアウトサイダー」の二大政党制に向かう、というものである。ただし、議会での熟議をすっ飛ばす高市吉村連合によって、この国の政治の形が大きく変わっている中で、ほんとうにそうなんだろうか、という疑問が残る。

ところで、このブログで紹介した本が、この秋にも1000冊に達しそうです。この企画の言い出しっぺの、リアカーなきK氏と、きじょげむら村長のHD氏に、祝辞のひとつでも寄せていただきたいところです。

(こ)

宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社)

カンヌで賞をとった同名の映画を見に行こうと思ったが、3時間以上という長尺に怖気づき、まずは本屋で平積みになっていた原作を読むことにした。 


タイトルの由来は「急に具合が悪くなるかもしれない」という主治医の言葉で、その続きは「念のためホスピスを早めに探しておいてほしい」。
乳癌を患い死期が迫っていた哲学者の宮野さんと、医療人類学を専門とする磯野さん(以後、「さん」を省略)という二人の女性の往復書簡である。
二人はもとから親しかったわけでなく、「哲学者として、(病気を抱える)今の自分の状況はいったい何なのか、分析しきってやる」という宮野が、たまたま出会った磯野を相方として指名して始まったプロジェクトとのこと。


前半は、双方が話題を提供しながら関係を築いていく。
軸となるのは、偶然(たとえば不治の病に冒される)をどう受け止めるか、病者と健者はどのように会話すればよいか、というそれぞれの研究テーマ。対話はゆっくり進むように感じられるが、実際はわずか1か月にすぎない。


第7便で大きく展開する。「急に具合が悪くなる」が現実となったのを知った磯野は、遠慮をかなぐり捨て、死について語ってほしいと宮野に投げかける。
「宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ」というエールとともに。
弱気な宮野に対して、磯野は「宮野さんはこのチームのエースです。」と畳みかける。そこからラストスパートが始まる・・・


生と死をめぐる哲学者&がん当事者と医療人類学者の対話を縦糸に、別れが近いことを知りつつ関係が深まっていくというドラマを横糸に、と表現するのがよいだろうか。
言葉=ロゴスを重んじる宮野は感情表出に抑制を効かせており、それがかえって読み手を揺さぶる。


医療人類学の議論はわかりやすい。たとえば「ガンが治ったら一番に何がしたいですか?」「いつ死んでも悔いがないように」「正しい情報に基づく、患者さんの意思を尊重した支援」といった言葉への違和感の説明なんかは、「そうそう!」と言いながらスルスル読める。


一方、現象学は苦手。以前、兼本浩祐の『「わたし」が死ぬということの哲学』(ちくまプリマー新書)を取り上げようとしたが、現象学の議論で挫折した(プリマーなのに!)。
「急に・・」でも兼本先生の本でも、要所で出てくるのが木村敏、我々の大先輩である。うーん、逃げられへんなぁ・・・。


ともあれ、この原作をどのように映画にしたんだろうか?見に行く決心はつきました。

 

追記:

映画見てきました。二人を結びつける設定として、ユマニチュードと(その裏の)施設症が持ち込まれていて、「そうきたか!」と思いました。「負の外部性」とか説明がけっこうクドイのは、フランス人向けでしょうか。

原作を読んでも読まなくても十分に楽しめると思います。

ちなみに、映画館併設の本屋では、上映後に原作が次々と売れていました。

(は)

井口淳子・山本佳奈子編『ファンキー中国 出会いから紡がれること』(灯光舎)

今夏、初めて中国に行くので。
13人の日本人による私的中国体験記で、大友良英さん以外はほぼ無名の日本人(だと思う)。大友さんにしても、「あまちゃん」の音楽で有名になったが、もともとは即興とかノイズとかやっているマイナーな音楽家だった。
生活に根差した話題ということで、やはり食べ物の話が多い。なにせ、一緒に飲み食いするのが仲良くなる一番の近道である。大友さんのように「くだらない話」で盛り上がれたら、もっといい。
意外だったのが表現への欲求である。現代アート、「ないないづくしの音楽」と呼ばれる即興音楽、映画、公園で踊りまくるオジサン・オバサン。さらにTikTokには「農村のおじさんがただむしゃむしゃと食事をするだけの動画」が無数に投稿されているという。


この本は「中国」とか「中国人」といった大きな主語を避けている。

例外が沖縄の音楽家の宮里千里さん。1960年代末、北京放送局の短波ラジオで「沖縄がアメリカ・日本から独立すれば、釣魚島を沖縄の領土と認める」というメッセージが流れていたことを回想する。
琉球は明や清に対して300回近く朝貢し、政治的なバランスをとりつつ経済活動を活発に行っていた。中国から侵略を受けたことはなく、どちらかというとポジティブな印象を抱いているという。
日中国交回復と沖縄本土復帰はともに1972年(偶然?)。沖縄訪中団が組織され、宮里さんの父親は副団長、迎える中国側のトップは鄧小平国家副主席だった。それくらい沖縄は重視されていたのである。
宮里父は鄧小平に「小國之大勢 弱即久存 強即速敗 琉球之俗 頗諱言兵」(小国が生き残るための原則は、弱小であればこそ長く存続でき、強大になろうとすればかえって急速に滅びることである。琉球の人々の風習は、戦争や武力を語ることを非常に忌み嫌う。)という先人の詩を披露する。
「好、好」と応えてくれるものと確信していたが、「あれは昔の話です」とあっさり否定され、明や清とは違うことを感じ取ったという。

まあ、あまりそういうことは考えずに楽しんできたいですね。

(は)