阿部拓児『アケメネス朝ペルシア』(中公新書)

古代ギリシアの歴史は、アケメネス朝ペルシアとの外交ないし戦争の歴史でもあった。そこで今度はペルシア側の歴史を知りたいと思い、読んでみた。阿部拓児『アケメネス朝ペルシア』。

副題に「史上初の世界帝国」とあるように、アジア・アフリカ・ヨーロッパにまたがる君臨した帝国であるアケメネス朝ペルシアの歴史につき、9人の王の事績を軸に著した本である。

古い時代のことゆえ、その歴史を紐解くのは容易ではない。本書はこれを、残された「史料」を中心にたどっていく。

アケメネス朝ペルシア史研究に用いられる史料は、歴代の王それぞれが直々に作成した「碑文」、そして同時代のギリシア人であるヘロドトス、クテシアス、クセノポンらが残した叙述である。ユダヤ人がヘブライ語で記した旧約聖書も、重要な文献史料となり得る。っていうかすごいな旧約聖書

どのような史料があり、それには何が書かれており、そこからどのようなことが推測できるか――。本書は単にアケメネス朝ペルシアの通史だけではなく、「史料からどのように歴史を読み解くか」という歴史学一般のすぐれた教科書でもあった。


(ひ)

小島俊一『2028年街から書店が消える日』(プレジデント社)

 2028年というのは、学校での電子教科書の導入が本格化する予定の年である。学校や図書館との取引が生命線となっている街の書店にとって、残された時間は短い。
 出版社、取次、書店、それぞれに問題があって、法令あるいは商慣行が問題を固定化し、解決困難な構造を生み出している。そこへトラックの2024年問題が拍車をかけた。

 そんな中、多くの書店関係者が「ゆでガエル」となって緩慢な死を迎えようとしている中にあって、立ち上がって発言し行動する、28人の関係者へのインタビュー集である。地方の個性的な書店の店主、匿名の関係者、直木賞作家、配送業者、コンサル、などなど。本が大好きな人たちによる、この国に紙の本と書店を残すための行動の記録であり提言である。
 そしてこれをまとめた著者自身が、トーハンから四国の書店に出向して業績を回復させた経歴を持つ、そうしたうちの1人である。

 驚いたのは、関係者の口から次々と明らかにされる、本を取り巻く業界のおそろしいまでの旧態依然とした商慣行である。
 Amazonは、顧客の嗜好を解析して購買をプッシュし、クリック1つで翌日に本が手元に届く。書店に顧客データがなく、コンビニへの雑誌流通のトラックに載せて本を配送するから納品に時間がかかる。これではアマゾンに勝てるわけがない。

 インタビューを受けた28人の中に、京都の大垣書店の社長とふたば書店の代表が登場する。京都でも書店の閉店は相次いでいるが、そうした中で京都発の反転攻勢の動きは着実にあると信じたい。(一乗寺恵文社さんは出てこなかった。有名すぎるからかな)

 書店といい、百貨店といい、パイはどんどん小さくなっていく中、なかなか変革に手が付けられないでいる。一方で、書店も百貨店も文化であり、残すべきものを残しつつ変わっていかなければ、未来はない。ただしその「残すべきもの」の見極めが難しい、大変に難しい。
 学校もそうだ。そうなんだけど。

(こ)

塩野七生『ギリシア人の物語』(全4巻・新潮文庫)

今年の夏はこれを読んで過ごした。塩野七生ギリシア人の物語』。

塩野七生・最後の歴史長編」と銘打ったこの作品。古代ギリシアの興亡を全4巻で駆け抜ける。

第1巻は「民主政のはじまり」。古代ギリシアアテネで民主政はいかに生まれ、進展していったのかを、ソロン、ペイシストラトスクレイステネステミストクレスと順をおって見ていく。

この巻の山場は第2次ペルシア戦役。圧倒的多数のペルシア軍を相手に、海ではサラミス、陸ではプラタイアにおいて、アテネやスパルタからなるギリシア軍がこれを撃破する。

第2巻は「民主政の成熟と崩壊」。アテネペリクレスの手腕によってエーゲ海の盟主となる。しかし、その絶頂期は長くは続かず、やがてアテネはスパルタとの間で泥沼のペロポネソス戦役へと突入していく。「アテネ人は、自分たち自身に敗れたのである。」(631頁)との言葉が重い。

第3巻は「都市国家ギリシアの終焉」。ギリシア都市国家群の覇権はアテネからスパルタへ、そしてテーベへと移っていくが、その間、辺境の地・マケドニアではフィリッポスが軍事改革を成し遂げた。

そして、第4巻は「新しき力」。主人公はもちろん、アレクサンドロスである。このとんでもないヒーローを前に、塩野さんの筆も走る走る。

この第4巻のラストには「十七歳の夏――読者に」と題する一節が設けられている。『ローマ人の物語』、『ローマ亡き後の地中海世界』、『海の都の物語』、『十字軍物語』、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』、そしてこの『ギリシア人の物語』。一連の歴史エッセイを読んできた読者に対する、塩野さんからの最後のメッセージである。こういうの、ちょっとウルっと来る。

もう歴史長編エッセイをお書きにならないのだと思うと、感慨深いものがある。今までありがとうございました。



(ひ)

寺岡泰博『決断 そごう・西武61年目のストライキ』(講談社)

 ちょうど1年前の2023年8月31日、池袋でそごう・西武労働組合ストライキを起こしてデモ行進をした。
 本書は、寺岡執行委員長が当時を振り返った記録である。

 そごうと西武という2つの百貨店が、バブル崩壊を経て、生き残りをかけて苦しみながら何度も生まれ変わろうとするのだが、いくら単店舗では黒字を出しても、絶望的に膨れ上がった有利子負債が経営を圧迫する。幾度となく経営者が変わり、ずるずると会社が切り売りされて小さくなっていく。基幹店が縮小すれば周辺の店舗の品ぞろえが悪くなり顧客が離れ区という悪循環である。バブル崩壊直後に西武に入社した著者は、右肩下がりの会社の中にあって、労働組合活動を通して、文化としての百貨店とそこで働く人たちを守ろうと動き続ける。撤退戦に次ぐ撤退戦にあたり、多くの人の支援を受けながら、交渉は続けられる。

 もちろんどうしても著者の主観が入ること避けられないとは思うが、それにしても、しんどいときにこそ人の本性が現れるとはよく言ったものだ。
 交渉相手となる7&iの井阪社長はセブン出身で、セブンには労組がないらしい。本人はちゃんとやっていたつもりなのかもしれないが、なるほど、労使交渉というものを知らないからああなったのか。そしてお題目のように唱える「選択と集中」でそごう西武は立ち直るどころかどんどん勢いを失っていく。
 百貨店出身の林元社長は、最後の最後に井阪氏に反旗を翻して解任される。2億円のストックオプションも放棄したらしい。

 2000億円出資したヨドバシが池袋の一等地に出店したいと思うのは当然だし、ファンドも利益を上げるために徹底的にドライなのもわかるけれど、とても応援する気にはなれない。また、西村あさひに対する河合弁護士の法廷戦術は見事だった。

 自分も小さいながらの職場の労働組合の役員として、何度も理事会と交渉を重ねてきた。著者の気持ちもしんどさも少しはわかる気がする。
 先日、京都の某私学がストライキを打った。自分も応援というか一緒に校門前のひとりになりに行った。労働組合運動とは、つながることだからである。
 そういう意味では、ストライキを打つところまで追い詰められたそごう・西武労組を積極的に支援しなかったUAゼンセンは、何考えてんだと思うし、そんなゼンセン傘下の労組がストを打ったからこそインパクトも大きかったのだろう。

 会社は誰のためか、働くとはどういうことか、決断するとはどういうことか。いろいろと考えさせられる本であった。

 

 そしてそのスピンアウトとして、西武ライオンズのユニフォームを着た女子高生が、閉店する西武大津店に現れることになる・・・。

(こ)

金子玲介『死んだ石井の大群』(講談社)

『死んだ山田と教室』で鮮烈なデビューをした金子玲介さん。その2作目ということで読んでみた。『死んだ石井の大群』。

白い部屋に集められた333人もの「石井」。生き残るのは、1人だけ。他方、探偵事務所を営む男のところに、人探しの依頼が――。

「教室のスピーカーから死んだ級友の声が聞こえる」というこれまで読んだことのない物語であった前作に対し、本作はいわゆる「デスゲーム」ものであり、先行作品もいくつか頭に浮かぶ。とはいえそこは金子玲介さん。ありふれた「デスゲーム」ものにはしないという気概が伝わる。・・・っていうか、いや、この小説、どこに着地するんだよぉ。

随所にちりばめられた「謎」、そして「違和感」は、中盤から終盤にかけて次々と回収される。これは良質なミステリでもあった。

前作に引き続き、軽妙な会話が楽しい。会話といえば、ラスト10ページ余りの「会話」には、その内容はもちろん、小説技法という面でも驚かされる(詳しくは言えないが)。この作者、とんでもない筆力ですよ。


(ひ)

橋本幸士『物理学者のすごい日常』)(集英社インターナショナル新書)

橋本教授は京都大学素粒子物理学の先生。「小説すばる」にエッセイを連載中。そして本書はそれをまとめたものである。
文才のある理系の先生のエッセイって、とにかく軽妙洒脱なのが多いんだよなあ。

いきなり、人間の知性というか脳のニューロン人工知能の形態が、素粒子の世界と共通するので、両者を理論的に統合した「学習物理学」の話に始まり、京都の碁盤の目の街並みを日陰を通って歩く話や、雨をよけて出町柳から百万遍まで走る計算をしてみた話や、「文才のある物理学者」の大先輩・寺田寅彦に倣って満員のバスで確実に座る方法を考えたり、父の葬儀で「生きる」ことを宇宙物理学的に思索してみたり・・・。

 

なお、個人的に大ヒットだったのは、「市民に開かれた研究室」のためには、大学の先生が市民に講義するのではなく、動物園みたいに研究者の生態をただ観察してもらい、研究者の机に座ってもらえばいいのではないか、という提案であった(実際に研究室開放イベントには1000人の参加者があったらしい)。
それそれ、それですよ。
大学の先生の市民講座、ぶっちゃけ、もういらない。

(こ)

呉勝浩『法廷占拠 爆弾2』(講談社)

東京地裁で発生した籠城事件」――これだけで、もう読もうと思った。呉勝浩『法廷占拠 爆弾2』。

その前に、まずは前作『爆弾』から読んでみた。

東京都内に仕掛けられた爆弾。自称「スズキタゴサク」と警視庁の刑事らとの知能戦。次から次へと展開される予想外のストーリーに、最後まで圧倒されっぱなしであった。この年の「このミス」1位に輝くとともに、直木賞候補作となったというのも納得である。

そして、その続編である『法定占拠 爆弾2』。

東京地方裁判所104号法廷。「スズキタゴサク」の裁判中、傍聴席の1人の男が突如立ち上がった。その男の手には銃が――。

前作に引き続き、「犯人」と刑事らとの知能戦が繰り広げられる。今度の舞台は法廷。「犯人」と担当刑事とのやり取りは、インターネットを通じて全世界に中継されるというのが今っぽい。終盤はこれまた予想外の展開。読後感もよく、エンタメ小説としての完成度も高かった。

火曜日の夜から読み始めたのだが、早速後悔した。続きが気になる。一気読みしたい。それくらい読み手を惹きつける作品であった。



(ひ)