清水潔『鉄路の果てに』(マガジンハウス)

 父が遺した本棚の中に、びっしりと書かれたメモが挟まっていた。

 私の軍隊生活
 昭和17年5月千葉津田沼鉄道第二聯隊入
 昭和17年11月旧朝鮮経由、満州牡丹江入
 20年8月、ソ連軍侵攻

 紙の隅には小さくこう記されていた。

 だまされた

 そして裏には、日本列島からシベリアまで、赤い線が引かれた地図があった。父の昭和17年から23年までの軌跡である。
 著者の足跡を追う旅が始まる。

 少し身構えながらページをめくると、そのお気楽さ(?)に拍子抜けする。ジャーナリスト仲間の青木俊氏と一緒に、シベリア鉄道の旅の紀行文なのである。しかも彼らは鉄道オタクときた。汽車を見ては喜び、軌道幅にうんちくを重ねる。

 のんきな文体だからこそ、しれっとソ連軍侵攻後の地獄絵図の情景が描かれる。三線ならぬ四線軌道を見つけて、おじさんたちははしゃぐ。ロシアが引いた軌道幅が気に入らず、満洲の広大な大地を日本がひたすら改軌して進み、さらに朝鮮との線路の接続の際に再び改軌して進んだらしい。そんなエピソードがあちこちに散りばめられ、日本軍がいかに行き当たりばったりだったのかが日常の光景の中に描かれる。そして著者の父は、その行き当たりばったりに翻弄された。

 私事ながら、私の祖父は召集を受けて南方へ向かう際、フィリピン海の泡と消えた。祖母は靖国神社への参拝を欠かさず、孫の名前にも「靖」の一文字をつけ、遺族会員として熱心に自民党を支持した。「国にだまされたから、取り返すんや」というのが自民党を支持する理由だった。私のクラブのシューズ代や受験参考書代は、遺族年金が化けたものだ。だまされた者の子孫が、ここにもひとりいる。 

鉄路の果てに

鉄路の果てに

 

(こ)