森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』(集英社文庫)

シベリア鉄道」と聞くと、大瀧詠一の歌のせいかもしれないけれど、無性に旅情を掻き立てられる。ましてや、与謝野晶子宮本百合子林芙美子がたどったシベリア鉄道の旅の足跡を、21世紀に追体験した旅行記があると知って、アマゾンでポチッとしてしまった。予想以上に中身の詰まった紀行文で、けっこうな時間を費やす。

本書は著者が2006年に、東京駅からウラジオストク経由でシベリアの大地を走り抜けて、モスクワ、そして最終目的へのパリへと旅をした記録であるとともに、与謝野晶子、中條(宮本)百合子と湯浅佳子林芙美子のそれぞれの旅を、彼女たちの心情に思いを馳せながら、彼女たちがおよそ1世紀前に書き残した文学作品を評しつつ再現していくという、とにかく4つの旅が同時進行で展開されるという、忙しい本なのだ(ロシアだけでなく、中国、ベラルーシポーランド、ドイツ、フランスもレポートし、ガイド兼通訳として同行してくれたロシア人留学生と中国人留学生とその家族との交流を通して、現代ロシアと現代中国の社会評論にもなっている)。

与謝野晶子の旅は1912年、旅の途中に多くの短歌を詠んで残している。中條百合子の旅は1927年、日記が残され、旅のようすは小説にもなっている。林芙美子の旅は1931年、彼女も現地発の文章を多くのメディアにのせている。老舗のお嬢・晶子や、アッパーミドル階級の令嬢・百合子が見たロシア・ソ連と、プロレタリアート・芙美子が冷めた目で見るソ連との対比はおもしろい。そしてそれを評する作者の視点もまた興味深い。

読み終えて思うに、日本にとってロシアとは、畏怖の対象であり、憧憬をもって眺めつつ、中国とともにその巨大さと懐の深さに恐怖する隣国なのだ、ということである。
今、不幸にして、その両国との関係は最悪の状況にある。国家どうしの関係は冷えきってしまっても、この両国を抜きにして、日本を語ることはできないし、日本の将来を考えることはできないのだと、改めて思う。

とにもかくにも、おなかいっぱい。たぶん作者本人が、化け物みたいな先人を3人も憑依させて、制御不能に陥ってしまったのだと思う。
おもしろかった、ほんとうにおもしろかったのだけれど、読み終えてちょっと胃もたれ気味。

(こ)