平山周吉『満洲国グランドホテル』(芸術新聞社)

 先週紹介した『女三人のシベリア鉄道』には、1章だけ、満洲の旅が差し挟まっていた。韓国併合後は釜山に渡って朝鮮を抜け、南満洲鉄道、東清鉄道を経てシベリア鉄道に合流するという経路がよく利用された。著者の森まゆみ氏も、大連からハルビンまで特急列車に乗る。

 満洲国という「キメラ」はたった13年しか生存できなかった。しかしこの「国家」が日本の近現代史に果たした役割は、鮮烈な光に隠された闇があまりにも深すぎて、直視すると目も心もやられてしまいかねない。

 本書はその満洲国像を、一瞬だけ満洲を通りすぎた36人の人物を通して描こうとする野心作である。最初に登場する人物が小林秀雄。彼の満洲での講演旅行がテーマである。
 笠智衆原節子といった映画スターたち、多くの行政官僚、軍人、政治家、ジャーナリスト、作家、その中には小澤征爾の母もいる。
 満洲国を牛耳った「二キ三スケ」(東條英機関東軍参謀長、星野直樹国務院総務長官、鮎川義介満洲重工業開発株式会社社長、岸信介総務庁次長、松岡洋右満洲鉄道株式会社総裁)の話は有名ではあるが、本書で紹介される36人の中には、星野と松岡しか出てこない。

 本書の重心はむしろ、「一ヒコ一サク」(甘粕正彦と河本大作)に置かれる。大杉栄虐殺の首謀者・甘粕と、張作霖爆殺の首謀者・河本。札付きのワルが満洲では生まれ変わって出世している。人生をロンダリングさせてくれるこの新天地に、左翼も右翼もその魔力に引き寄せられてやってくる。

 そこでは、五族協和というまばゆいばかりの理想の裏で、カネと権力にまみれたアヘンと差別と暴力の支配する世界とが見事に重なり合う。

 1948年12月、満洲国の亡霊が巣鴨からシャバに引き戻されたところから、裏の日本戦後史が始まった。岸と児玉と笹川をつなぐもの。そしてそれを受け継いだ者たち。その戦後史のパンドラの箱を開けたのは、手製散弾銃による2発の銃声だった。この闇はまたうやむやにされて沈んでいくのだろうか。あるいは光にさらされて一気に浄化されるのだろうか。(『ロッキード』で田中えん罪説に立った真山仁氏は、中曽根と児玉の闇に迫ろうとしたが、頓挫している。この闇もまた統一教会という補助線でつながっていく。)

 表紙は『虹色のトロツキー』の安彦良和氏。徹底的に生臭い満洲を描くには彼を措いていない。

(こ)