三浦英之『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』(集英社)

 コンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンシャサから南東へ1600キロ離れたカタンガというところに、1970年代に日本企業の銅山があり、多くの日本人がこの地で暮らしていた。その中には現地の女性と結婚し子どもをもうけた人もいた。この銅山は閉鎖され、日本人たちはみな帰ってしまい、そんなことがあったことすら日本では忘れてしまっていた。しかしフランスのメディアが2010年、日本人医師がこの地で日本人男性と現地女性との間にできた赤ん坊を組織的に殺していたというニュースを報じた。今でも日本人男性の子どもたちが現地にいて、差別と貧困に苦しんでいるという。このニュースを知ったのが、当時朝日新聞の特派員として南アフリカにいた筆者である。

 筆者は現地を訪れる。そこには「ユキ」や「ナナ」や「ケンチャン」たちがいた。厳然たる部族社会において、父親が外国人でしかもこの地にいないことが、どれだけ大変なことか。筆者は取材を続ける。

 タイトルを見てこの本を手にしたとき、無責任な日本人が現地妻を迎えて子どもを捨てて帰った、舞姫なのか蝶々夫人なのか、そんなものかと思っていた。しかも組織ぐるみで隠蔽したのだろう、と。しかし、筆者が丁寧に取材を進める中で、そうではないということが少しずつ明らかになっていく。
 男性の中には最後まで泣きながら帰国に抵抗し、日本からずっと連絡を取り続けた人も少なからずいた。しかしザイールの政情不安によって日本からの郵便が届かなくなり、連絡が途絶えてしまったのだった。
 また、筆者は当時を知る日本人医師を取材する。老医師は嬰児殺しを断固として否定した。筆者はこの言葉に嘘はないと直感する。そして筆者は、フランスの報道を受けて日本人医師による嬰児殺しを報じたBBCに質問文を送る。BBCの答えは、当時の報道はBBCが求める水準にはなかったとし、記事を削除した。

 大きくなったアフリカの日本人の子どもたちは、自分のアイデンティティを日本人に求め、日本の父に連絡を取りたいと筆者に願う。しかしその思いは叶わなかった。

 筆者はかつて、満洲建国大学の卒業生のその後を取材した。戦後彼らは、日本帝国主義への協力者として壮絶な弾圧にさらされた。そしてそのことは闇に葬られた。筆者は、アフリカと満洲が同じ構図だと指摘する。日本は資源を求めて現地に進出し、そこで多くの悲劇と残留孤児を生み出した。そしてそのことは歴史の空白として忘れ去られていく。

 先週のがどこか品のいいアメリカ特派員の報告であるならば、今週のは南アフリカ特派員の地を這って泥をすするような現地ルポである。筆者を本ブログで紹介するのは、『南三陸日記』に次いで2度目となる。

 まだ余韻が残っている。すごいルポルタージュだった。

 

 なお、本書には2人の日本人が登場する。ひとりが、コンゴで「子どもたちの会」を立ち上げて日本人残留児の支援活動を行っている、田邊さん。もうひとりが、修道女として日本人残留児たちを見守る、佐藤さん。ふたりとも敬虔なカトリックの信徒である。
 かつて欧米のキリスト教はアフリカで、筆舌に尽くしがたい極悪非道な蛮行に及んだ。今のコンゴが大変なのも、元をたどればベルギーが発端だ。その一方で、今、日本人残留児のためにひたすらに汗を流しているのもまた、キリスト教徒である。カトリック精神とは何かと考える。

(こ)