小林文乃『カティンの森のヤニナ 独ソ戦の闇に消えた女性飛行士』(河出書房新社)

お~、マユミちゃんの注射も17年ぶりに復活ですか!!

 

 1940年、1万人を超えるポーランド人将校が姿を消した。3年後、今のロシアとベラルーシの国境付近のスモレンスク郊外で、8つの穴の中からおびただしい数の遺体が発見された。将校のみならず、ポーランドの知識人層が片っ端から殺されていった。その数は22,000人とも25,000人ともいう。「頭」を失わせてポーランド人を奴隷化するためである。この「カティンの森の虐殺」について、ソ連はドイツの所業だとして一切の関与を認めず、その後のポーランド共産党政権下でこの事件はタブーとなった。

 その中に1人だけ、女性の名前が残されている。ヤニナ・レヴァンドフスカ空軍少尉。建国の英雄ムシニツカ将軍の娘である。彼女の生涯を追いかけて、著者はポーランドとロシアを旅して回る。彼女の生まれ育ったポーランド西部の街・ルソーヴォ、アウシュビッツ=ビルケナウ(オシフィエンチム)、クラクフグダニスク、オプティナ修道院、モスクワ、そして旅の最後はスモレンスクである。本書はノンフィクションであり、歴史書であり、旅行記でもある。ポーランドの歴史は抵抗の歴史でもある。ヤニナの生涯の向こうに、踏みにじられても踏みにじられても何度でも立ち上がるポーランドの人々の魂が強烈に描き出される。100年以上も母語を使うことを禁じられながらも、彼らは言葉を伝え続けていった。カティンの歴史もまた消されようとしたが、密かに語り継がれてきた。筆者は言う。「教育こそが国を作る。それを最もよく理解しているのは、ポーランド人なのかもしれない。」(p.91)

 筆者はワイダ監督夫人にもインタビューしている。ワイダ監督の父もカティンの森で殺された将校のひとりで、社会主義政権が崩壊してようやくこの事件を映像化することができたのだという。そのときワイダ監督は81歳。なお、夫人の祖父は、ロシア革命直後の混乱の中でシベリアのポーランド人孤児たちを支援する運動をしており、日本赤十を通して多くの孤児たちが助け出されたという。その縁でワイダ夫妻は親日家となったのだとか。

 取材を終えた後、コロナウィルスが猛威を振るい、彼の地は遠くなった。そしてロシアがウクライナに侵攻する。ポーランドは全力でウクライナを支援する。本書を読んだ後であれば、彼らの思いがわかる気がする。第2次大戦で国民の5人の1人が命を落とし、しかもカティンで、あるいはアウシュビッツで、ワルシャワ蜂起で、彼らの命は虫けらのように踏みにじられていった。その記憶がよみがえったであろうことは、容易に想像がつく。筆者も言う。ブチャで、イジュームで、私たちが集団墓地で目撃したものは、カティンの森事件の資料で筆者がさんざん見てきた光景そのままである、と。

 なお、ヤニナの頭蓋骨は、当局の追及の手からずっと守り続けられ、2003年その存在が公表された。そして2005年、彼女はルソーヴォへの里帰りを果たし、盛大な葬儀が行われたという。

 アレクシエーヴィッチ女史が蒔いた種が、またひとつ花開いた。

(こ)