藪下遊/髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマー新書)

働いていると本が読めないことの理由と対策はわかった気がしても、現実問題として、読めないものは読めないのであります。

 

今、学校現場では、不登校の生徒に対しては、登校刺激を与えず、ゆっくりと休ませることが大切だとされている。たしかにそれはそう思う。そうなんかなぁ、と思うことがないわけではないが、それも含めて生徒の葛藤なのであって、すべてをあるがままに受容することによって、生徒は少しずつ前に進むことができるのである・・・とはいうものの、やっぱり釈然としないことが、ときにはなくもない。

そして「叱らない子育て」「叱らない指導」の本は相変わらず次々と刊行されている。「感情的に怒る」ことと「叱る」こととは違うのに、なんか混同している人、多くないかい?、とは思いつつ、とにかく自己肯定感が大事、というのは理解する。

 

本書は今主流となっている不登校生徒への対処に対して、豊富なケーススタディにもとづいて、スクールカウンセラーの立場から疑問を呈する。
筆者によるば、多くの子どもたちに不足しているのが「世界から押し返される経験」なのだという。学校生活は思うようにならないことだらけだ。子どもたちはネガティブな自分を受け入れられない(その裏返しとしての万能感)し、親の中にも我が子の問題を本人でも親でもない外部の責任として納得する。

 

もう20年ほど前になろうか、「やさしさの精神病理」がベストセラーとなり、その後も何冊も「やさしさ」「傷つき」を批判する本が刊行された。個性尊重という方針のもとで進む学校現場での「叱らない」流れへの批判は「プロ教師の会」という不思議な団体の成立や反教育改革(教育を取り戻す)系の政治運動となった。

本書も、読まれ方によっては、過去に何度もあった「揺り戻し」の一種とも捉えられかねない。これが行き過ぎると戸塚ヨットスクールを再び生み出すことになる。

 

読み終わってすっきりするものではない。
難しいなぁ、という思いを強くした。

 

なお、髙坂氏は名前を貸してコラムとあとがきを書いただけなので、実質的には藪下氏の単著と考えた方がよい。

(こ)