華子は東京・松濤の令嬢である。何不自由なく育ち、カトリック女子校を出て、同級生たちが次々と結婚していく中、婚活に焦っている(第1章「東京」)。美紀は富山から猛勉強で慶応に合格したが、実家からの支援がなくホステスをして学費を稼いでいたものの中退。今は企業勤めをしている(第2章「外部」)。
何の接点もないふたりが、幼稚舎から慶応という御曹司・幸一郎をきっかけとして巡り合う。(第3章「邂逅」)。
第1章と第2章は、二人の女性の人生がだらだらっと語られ、かなり忍耐を迫られる。両者が共通の知人を介して思いがけず邂逅した瞬間、水とナトリウムを混ぜたかのような爆発的化学反応を引き起こす。
本書はいろいろな読み方ができる。
「ああ、日本は格差社会なんじゃなくて、昔からずっと変わらず、階級社会だったんだ。」(美紀のモノローグ)
ここで出てくる「東京」は「江戸」ではない。近代日本をつくるにあたって人工的に形成された都市空間と支配階級のことである。だからそれは、歴史や生活の中から時間をかけて醸成されてきたものではない。「東京」という資格を誰に付与するかは非常に閉じられたメンバーによって恣意的に決定することができ、だからこそコードの意味が引き立つのである。
「・・・あのまま挫折知らずで年取って、どんどん偉くなっていくと思うと、ちょっと怖い。・・・人の意見なんて全然耳に入らなくて、自分の思うとおりに人を動かせると思ってて。自分と自分の周りのお友達だけが世界の中心で、それ以外の人のことなんて本気で視界にも入ってないの。」(美紀)
ああ、そういえばこの国は、こういう挫折知らずで年取って、どんどん偉くなっていった、自分と自分の周りのお友達だけが世界の中心のおじさんを、何年もトップに据え続けてきたではないか。
なお、本作品は門脇麦と水原希子のキャスティングで映画化され、本を読んで映画も見た知人によれば、映画版の方がよくできているとのことである。
(こ)