石破茂(倉重篤郎編)『保守政治家』(講談社)

 第102代内閣総理大臣となった石破茂氏の著書が8月に緊急出版されたのを、遅ればせながら購入。

 石破茂という名前を初めて耳にしたのは、1988年の「ユートピア政治研究会」のときである。のちに新党さきがけを結成し、政界再編を引き起こしたメンバーの中に彼がいて、よくニュースや討論番組にも顔を出していた。しかし彼は(なぜか)1993年の宮澤内閣不信任とその後の自民党分裂に加わらず、自民党に残った。その後、自民党を出て新生党から新進党へ。このとき、新進党には、高市早苗野田佳彦小池百合子も、公明党代表石井啓一もいた。実は今の国会の主役は、30年前に小沢一郎が画策した政界再編の申し子たちだったりする。

 さて、本書の大きなテーマは「真の保守政治の復活」である。それは党内の右翼勢力が吠えるような偏狭なナショナリズムのもとづくものではなく、エドマンド・バークを引き合いに出しながら、父・二朗氏に進められた福田恆存の影響を大きく受けて、先輩政治家の薫陶を受けながら、石破氏が育んできた保守という「態度」のことであり、それは「寛容」のことである。

 生い立ちを語りながら、政治家人生が回顧される。その中心には田中角栄がいることがはっきりとわかる。選挙制度改革には小泉純一郎が反対していたというのが興味深い。弱点がよく見えていたからこそ、その制度をもっともうまく利用して政権を切り盛りできたのだろう。自民党からの離党、復帰、そして4度の総裁選出馬。

 そして最後に、政策論が展開される。とりわけ安全保障政策と改憲論になると大いに筆が進んでいる。彼は(清和会支配によっておかしくなってしまった)自民党を真の保守政党として立て直し、日本を地方から再生させようとする。

 しかしここから、船出した石破政権が1週間経たずに早くも現行が右往左往している理由がよくわかる。ここで書かれている内容はいずれも理念が先行し、そこから言行がついてくる。田中角栄をはじめとしたありたい政治家像とあるべき日本の国家像があって、そこに彼が言行を寄せていく。
 そういう意味で、実は石破茂という人は、リベラルではあっても(彼が言うところの)真の保守政治家ではないのかもしれない。官房長官防衛大臣、あるいは党三役には向いていても、内閣総理大臣になるには、1枚狸の毛皮を羽織らなければいけないのではないだろうか(その意味では鳩山由紀夫氏を彷彿とさせる)。
 さて、これから石破茂は狸になれるかどうか。その時を得ないまま大急ぎで解散したことが、吉と出るか凶と出るか。

(こ)