繁田信一編『御堂関白記』(角川ソフィア文庫)

紫式部紫式部日記」、道綱母蜻蛉日記」、行成「権記」、実資「小右記」と読んできた日記シリーズ。いよいよラスボス、藤原道長御堂関白記」の登場である。さすがに分量が多いので、これも「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズで読むことに。

かっちりと客観的事実を記録する行成「権記」や、細かいけれどグチも多い実資「小右記」と比べ、この「御堂関白記」は、何だかざっくりとしたメモ書きのようなものが目立つ。

例えば長保元年9月20日の日記は「今朝初霰降」(今朝、初めて霰(あられ)降る)の5文字だけ。長保2年1月14日に至っては「無殊事」(殊なる事はなし)というたった3文字である。いかにも億劫そうな様子が目に浮かぶ。

基本的に漢文で記されているのだけれど、文法も漢字もしばしば怪しくなる。寛弘8年6月22日、一条天皇崩御の日記には「崩給」(崩じ給う)と書くべきところを「萌給」と誤記。萌えてどうする。わりと大雑把な人だったのだろうか。

かなりの頻度でひらがなや万葉仮名が用いられているのも目立つ。解説には「漢文の読み書きに堪能ではなかった道長は、ついつい話し言葉をそのまま書いてしまうことが少なくなかったのだろう。」(349頁)とある。

日記の節々に出てくる登場人物は、もはやおなじみの面々ばかり。藤原為時もたまに登場(寛弘6年7月7日、寛仁2年1月21日)。今では紫式部の父としてのみ知られる為時も、当時は彼自身が著名な詩人であった。

1000年も前の実質的な最高権力者の日記が自筆で現存しているというのは、これ自体、奇跡に近い。道長の人となりがほんのり伝わる面白い日記であった。

繁田信一編『御堂関白記』(角川ソフィア文庫


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