道綱母「蜻蛉日記」、行成「権記」、実資「小右記」ときたので、次は藤原公任である。といっても公任は著名な日記は残していないし、「和漢朗詠集」は選者にすぎない・・・などと思っていたら、手頃な評伝が出ていたので読んでみることに。小町谷照彦『藤原公任 天下無双の歌人』。
公任の生涯を、多数の和歌とともに紹介する人物評伝である。
摂関家の嫡男として生まれた公任。もっとも父・頼忠の関白就任は才覚ではなく、藤原兼通の「きまぐれ人事」であったという。とはいえ関白の子。順調に出世すれば公任も摂関の道を歩む可能性があったものの、同い年の藤原道長の存在があまりにも大きく、結局、公任はその「惑星」の存在にとどまった。
他方、漢詩・管弦・和歌などの才能はすぐれていた。中でも中心となるのは和歌の面である。著者は公任は「正統な和歌史の継承者としては、貫之と定家の中間に立つ人物」であり、「次代の和歌史の展開の基礎をつくりあげた」と評する(291頁)。
ところでこの公任、「枕草子」と「紫式部日記」の双方に登場している。
「枕草子」では、清少納言に対して「少し春ある心地こそすれ」という歌の下の句を贈り、その応答を求める。清少納言は「空寒み花にまがへて散る雪に」と返す。どちらも「白氏文集」の詩句を踏まえたという、機知にとんだやり取りである。
「紫式部日記」の方では、敦成親王五十日の儀で、酔った公任が「あなかしこ、このわたりに若紫や候ふ」と発言。・・・これ、大河ドラマでもやるよね?