神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)

・・・せんせい大丈夫~?

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4月からの朝ドラ「虎に翼」。先日、メインビジュアルが公開された。法服を身にまとった主人公(しかも戦前の法服!)。これだけでもテンションが上がる。

さて、このドラマの主人公にはモデルがいる。三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんである。日本で初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事であり、そして初の女性裁判所長となった方。もっとも僕もそのくらいしか前提知識がないので、ちょっと評伝を読んでみることに。神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』。

・・・波乱万丈の人生じゃないですか。

父・貞雄の赴任先のシンガポールで誕生。「嘉子」という名前は、シンガポールの漢字表記「新嘉坡」から一字を取ったという。やがて帰国し、青山師範学校附属小学校、東京女子高等師範学校附属高等女学校を経て、明治大学専門部女子部法科に周囲の反対を押し切って入学。

そして、昭和8年、弁護士法が改正され、それまで「成年以上ノ男子タルコト」とされていた弁護士資格が改められて、女性でも弁護士になることができるように。とはいえ、女性が弁護士になるには、まだまだハードルの高い時代であった。

・・・とまあ、書いていけば切りがないのだけれど、このあと嘉子は高等試験司法科(現在の司法試験)に合格し、修習を経て弁護士になる。一度目の結婚と長男の誕生、そして太平洋戦争と夫の死。司法省・最高裁判所での勤務と、判事補任官、そして女性初の判事へ。長男を連れての転勤生活、そして二度目の結婚・・・などなど、どこをとってもドラマチックな人生である。

今年(令和6年)採用された判事補81名のうち、女性は約42%(34名)を占め、新任判事補の女性比率は過去最高となった。嘉子が判事補になってから70年あまり。時代は少しずつ、だが着実に変わっていく。

神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター


(ひ)