川村裕子訳注『新版 蜻蛉日記I・II』(角川ソフィア文庫)

大河ドラマ『光る君へ』には、藤原道綱母が出てくるという。「蜻蛉日記」の作者である。興味を持ったので、現代語訳で読んでみることにした。

まずはお約束の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズから角川書店編『蜻蛉日記』で頭づくり。毎度毎度、本当にお世話になっています。

角川書店編『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫

そしていよいよ現代語訳へ。

蜻蛉日記」は上巻・中巻・下巻からなる日記文学である。作者の藤原道綱母は、藤原兼家の妻。もっとも兼家には嫡妻の時姫が既におり、またしばしば若い女性のもとに入りびたる。道綱母の兼家に対する愛憎入り混じった感情が、この日記のテーマともいえる。

まず、上巻の序文が読者を惹きつける。世の中にある「古物語」はどれも作りごとや絵空事ばかりであるが、それでももてはやされているので、人並みでない私の身の上をありのまま日記にしたら、さぞ珍しがられるだろうという、本書執筆の「宣言」である。「蜻蛉日記」は単なる日記ではなく、道綱母がその半生を振り返って描いた作品である。

上巻は、兼家の求婚から始まる。豪放磊落な兼家のキャラがよい。結婚が成立し、やがて道綱が出生。もっとも幸せな日々はそう続かず、兼家は早速、別の女のもとに通いだしたりする。百人一首に採用された「嘆きつつ一人寝る夜のあくる間は…」の歌もこの頃のものである。

上巻の末尾は「あるかなきかのここちするかげろふの日記といふべし」という、日記の題名のもととなった文で締める。

中巻で、道綱母は鳴滝に籠る。一種の家出である。直接のきっかけは、兼家が道綱母の宅を訪れる・・・と見せかけてその前を通り過ぎるということを繰り返したところにある。何やってんだ兼家。

この鳴滝籠りはかなりの長期にわたるが、最後は兼家が強引に連れ戻す。

下巻では、兼家は権大納言に出世。一方、道綱母は自らの老いを強く意識する。道綱母は兼家と愛人との間にできた娘を幼女として引き取るが、結局、兼家の愛情をつなぎとめることはできず、別邸に転居する。「床離れ」、すなわち実質的な離婚である。

作者の道綱母歌人としての才能が高く、いわゆる才女であった。その才女が書き記した「蜻蛉日記」。全般を通して、心のゆれや感情がストレートに描かれている。1000年経っても読み継がれている所以であろう。

川村裕子訳注『新版 蜻蛉日記I・II』(角川ソフィア文庫