笠井亮平『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』(文春新書)

インパール作戦」といえば、無謀きわまりない大失敗、あるいは死屍累々の代名詞となっている。
 しかし、イギリスの歴史家の中では「インパールの戦い」が「グレイテスト・バトル」のひとつに挙げられているのだという。そこで著者は、東南アジア史あるいは南アジア史の中での、大英帝国大日本帝国の衝突、あるいはインド民族運動と独立への動きという視点から、1942年から44年までを「インパールの戦い」としてとらえ、なぜ日本は敗れ、イギリスが勝利したのかを描く。
 実は開戦当初、イギリス軍はボロボロだった。歴史にもしもはないというが、1942年の段階で日本軍がビルマからさらにインドへと侵攻していれば、イギリスは支え切れたかどうかは疑わしかった。イギリスは世界戦略の最重要拠点を失い、大戦の行方はわからず、ボーズらのインド独立運動は成功裏に終わったかもしれない。
 しかし、日本軍はインド攻撃を思いとどまった。真珠湾港湾施設を徹底的に破壊しなかったように。国家存亡の危機を乗り越えたイギリスは息を吹き返す。日本軍がインパールへの進撃を決定した1944年の段階では、イギリスは態勢を整えていた。それでも現地の日本軍はよく戦った。このときの司令官たちの無能と無責任についてはよく知られているとおりである。

 帯の文面やタイトルから、なんだ日本軍はよくやったっていう話なのかな、と少しいぶかしがりながら購入。結論を言えば、日本軍は徹頭徹尾、ちゃんとした情報にもとづく合理的な意思決定ができなかったということなんだな・・・。帯は購買意欲旺盛な歴史修正主義者に向けた罠か。

(こ)