五味文彦=本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡(5)征夷大将軍』『同(6)富士の巻狩』(吉川弘文館)

久々の『現代語訳 吾妻鏡』。

第5巻「征夷大将軍」には建久元年(1190年)から建久3年(1192年)までを収録。

この期間中の特筆すべき出来事は、やはり頼朝の上洛であろう。御家人やその郎党まで含めると、1000人近くもの規模に及ぶ。吾妻鏡では、その準備や事前のやり取りから、京における後白河法皇との面談に至るまで、詳細に描き出している。

その後、法皇崩御し、頼朝は建久3年(1192年)には征夷大将軍に任ぜられる。吾妻鏡での記載は思ったより簡素である。同年8月には実朝も誕生。これもその後の人生を思うと・・・というところ。

公式行事がつらつらと書き連ねられている中で、北条義時と「姫の前」の婚姻についての記載もある(同年9月25日)。姫の前はとても美人で、義時が1、2年にわたって手紙を書き続け(ストーカー?)、最後は頼朝が仲立ちをして婚姻させたという。頼朝が義時に「離別はしない」との起請文を書かせたりしているのがおもしろい。

続いて第6巻『富士の巻狩』。建久4年(1193年)から正治2年(1200年)までを描く。もっとも、このうち約3年1か月分については欠巻しており、しかもこの間に頼朝が死去。巨星、墜つ。

欠巻後の建久10年(1199年)2月から、頼家将軍記が始まる。際立つのはその無能ぶりである。これは史実か、それともこれが北条得宗家から見た歴史というものか。

この頼家政権下で、ついに御家人間の争いが顕在化。まず失脚したのは頼朝以来の近臣・梶原景時である。混迷の時代の幕が、いよいよ開く。

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五味文彦本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡(5)征夷大将軍』『同(6)富士の巻狩』



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