遠藤周作『わたしが・棄てた・女』(講談社文庫)

 『おバカさん』に続いて『わたしが・棄てた・女』。1963年の作品である。

  主人公は、大学生の吉岡努と田舎から出てきた(といっても川越なんだけど)女工の森田ミツ。吉岡がいわゆるナンパしてヤリ捨てるわけだが、ミツは吉岡を待ち続ける。吉岡は勤務先の社長の姪と結婚し、ミツはハンセン病と診断されて療養所に収容される。しばらくしてミツのハンセン病は誤診だとわかるが、ミツはそのまま療養所に残り、奉仕の生活を送る。ミツは交通事故で亡くなる。「さいなら、吉岡さん」という言葉を残して。
 「ぼくの手記」「手首のあざ」という2つの視点が交互に描かれる。黒と白を交互に見せ、吉岡の日常生活が「順調」に進むに従って、ミツの聖性が際立っていく。ミツはきっと、天国でイエスに愛されている。

 ただ、二項対立でよかったのかな。そのあたり、3年後に書かれた『沈黙』で多層的に描かれるわけであるけれど。

 ミツのモデルとなったのは、実在の看護師、井深八重である。彼女もハンセン病の誤診を受けて一時隔離入院し、その後看護師となって生涯をハンセン病患者のために捧げた。八重はローマ教皇や国際赤十字から勲章を受けているが、ミツにもがんばってほしかった、最後、殺さんでもええやん。

 

 我が社ではインフルエンザ大流行中。
 3学年、学年閉鎖しました。私もインフルでダウン。
 みなさま、どうかご自愛ください。

新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)

新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)

 

 (こ)

辻村深月『ツナグ 想い人の心得』(新潮社)

死者との再会をテーマにした連作短編集『ツナグ』に,何と続編が出た。辻村深月『ツナグ 想い人の心得』。
 
舞台は前作から7年後の世界。一生に一度だけ,死者との再会をかなえる「使者(ツナグ)」。今回もまた,様々な依頼人が「使者」の元を訪れる・・・。
 
辻村深月は稀代のストーリーテラーであると同時に,優れたミステリ作家である,と僕は思っている。『ツナグ』シリーズはもちろん純粋なミステリではないが,ミステリ要素が各所にちりばめられていて,単なる「ちょっと良い話」にとどまらない,読み応えのある作品に仕上がっている。
 
個人的には,僕が前作で少し気になっていた少女の「その後」が出てくる第1話「プロポーズの心得」と,ど真ん中ストレートの勝負球ともいうべき第3話「母の心得」が心に響いた。
 
基本的な設定や登場人物は前作を引き継いでいるので,前作から読むのがお勧め。僕も前作を軽く復習してから読みました。
 
ツナグ 想い人の心得

ツナグ 想い人の心得

  • 作者:辻村 深月
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: 単行本
(ひ)

松岡洋右『東亜全局の動揺』(経営科学出版)

 Facebookに毎日のように広告が届いているので、根負けしてクリックしたら、この本のサイトに飛んでいった。GHQが焚書処分としたとかいう煽りはさておき、ほんとうに松岡洋右が書いたものであることは間違いなさそうなので、本体無料送料負担(550円)で入手。

 申し込みを済ませると、一緒に動画はどうかと聞いてくる。今なら100円でいいらしいが、月2000円ほどの有料配信に切り替わるというのがしれっと書いてあった。いらないとクリックしたけれど、登録したメールアドレスにしつこく、もうビデオは見たかだの、これ以外の「日本すばらしい」系の広告が押し寄せてくる。

 これが愛国ビジネスというやつか。

 さて、郵送で本書が届く。1931年に松岡洋右がまとめた手記であり、サブタイトル「我が国是と日支露の関係・満蒙の現状」の通り、日本を取り巻く国際情勢を概観し、幣原協調外交を徹底的に批判しながら、大和民族が目覚めて東亜満蒙解放のために立ち上がれと勇ましく鼓舞する内容となっている。
 興味深いのが巻末の「校正後記」である。1931年9月15日に脱稿し、19日の早朝から最後の校正を手がけていたところ、届いた新聞で満洲事変勃発を知る。
「外交は完全に破産した。威力は全く地に墜ちた。・・・もう校正をする勇気もない。砲火剣光の下に外交はない。東亜の大局を繋ぐ力もない。休ぬるかな 噫!」

 GHQが焚書したというような内容ではまったくなく、驚くような新事実が明らかになるわけでもない。むしろ、こんなノリで外交を論じていたのであれば、そりゃ、ヒトラースターリンの掌で踊らされるだろうし、昭和天皇に嫌われたりするよな、と納得することばかりである。

 けっこう金回りのいい出版社らしい。なるほど、商売上手だし、さらにいろいろと資金の出所もあるのだろうか。今日も、慰安婦問題の真実がどうしたとかいうメールが届いた。こんなしくみになっているのだねと、社会勉強になった本。

東亜全局の動揺―我が国是と日支露の関係満蒙の現状

東亜全局の動揺―我が国是と日支露の関係満蒙の現状

  • 作者:松岡洋右
  • 出版社/メーカー: 経営科学出版
  • 発売日: 2019
  • メディア: 単行本
 

 (こ)

奥乃桜子『それってパクリじゃないですか?~新米知的財産部員のお仕事~』(集英社オレンジ文庫)

特許権,商標権,著作権意匠権・・・。そんな知的財産のお話が,ついにライト文芸に! 奥乃桜子『それってパクリじゃないですか?~新米知的財産部員のお仕事~』。

中堅メーカーに勤める藤崎亜季は,設立されたばかりの知的財産部に異動となったものの,知的財産の知識・経験はゼロ。そこに親会社から出向してきたのは,弁理士資格を有する上司・北脇。亜季は,北脇の指導を受けながら,様々な知財案件に対処しようとするが・・・。

知的財産部を題材にしたこういう軽めのお仕事小説,ちょっと記憶にない。個人的には楽しく読めました(僕自身,つい2年前まで知的財産権の専門部署にいたのです・・・)。

各章のタイトルが「第1章」とかではなく【0001】となっていたりと(特許明細書の段落番号の形式!),細かいところにも知財ネタが織り込まれている。そのうちNHKかどこかでドラマ化されないかなあ。

奥乃桜子『それってパクリじゃないですか?~新米知的財産部員のお仕事~』(集英社オレンジ文庫


(ひ)

遠藤周作『おバカさん』(小学館 P+D BOOKS)

 長崎・外海の遠藤周作文学館で、企画展「〝愛〟とは棄てないことーー遠藤周作〝愛〟のメッセージ」が開かれている(2018年7月~2020年6月)。

第1部では、遠藤作品の4人の登場人物を通じて、遠藤のメッセージを読み解いている。第2部では家族の愛をテーマに、作家・遠藤周作の人生に家族が与えた影響を紹介している。

私は愛とは「棄てないこと」だと思っています。
愛する対象が―人間であれ、ものであれ―
どんなにみにくく、気にいらなくなっても、
これを棄てないこと。

それが愛のはじまりなのです。
――『愛と人生をめぐる断層』(パンフレットより)

さて、その第1部では、『おバカさん』のガストン、『わたしが・棄てた・女』の森田ミツ、『女の一生 第2部』のコルベ神父、『深い河』の大津の4人が、それぞれモデルとなったとされる実在の人物の紹介とともに展示されていた。

『おバカさん』は1959年の作品で、高度経済成長が始まったばかりの日本の暗部も描かれているし、日本がまだ敗戦による自信喪失から立ち直っていない時代でもある。そうした中でガストンという戦勝国フランスからやってきた「異人さん」は、大きな体を震わせながら、なすすべもなくただ泣いてばかりいる。誰もが最初は彼のことをバカにするのだが、しかし次第に彼に吸い寄せられていく。

 はじめて巴絵はこの人生の中でバカとおバカさんという二つの言葉がどういうふうに違うのかわかったような気がした。素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けて行く人間は、今の世の中ではバカにみえるかもしれぬ。
 だが彼はバカではない・・・おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。巴絵ははじめてそう考えたのである。

ガストンのモデルとなったのはネラン神父さんという人で、遠藤のフランス留学を支援したり、歌舞伎町にスナックを開いてバーテンダーとして多くの人の話に耳を傾けてきた方なんだそうだ。

なお、小学館のP+D BOOKSというレーベルは、「後世に受け継がれるべき名作でアリながら、現在入手困難となっている作品を、B6版ペーパーバック書籍と電子書籍で、同時かつ同価格にて発売・発信する、小学館のまったく新しいスタイルのブックレーベル」だとのこと。正直言って、ペーパーバックで日本語小説を読むのは慣れておらず、手のひらの中でゴワゴワしてどうも落ち着かなかった。中古の文庫本にすればよかった。

おバカさん (P+D BOOKS)

おバカさん (P+D BOOKS)

 

 

吉野作造『憲政の本義、その有終の美』(山田博雄訳,光文社古典新訳文庫)

民本主義」を唱道した政治学者・吉野作造。その代表作である「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」が,この度,現代語訳になった。題して『憲政の本義、その有終の美』(山田博雄訳)。
 
1916年(大正5年)の作品である。しかし,ここで説かれている本質的な内容は,今なお古さを感じさせない。例えば,憲法により政府の権力を制限し,しばりをかけるのが「立憲主義」であり,なぜ「立憲主義」が必要かといえば,それは政府の権力から国民(の基本的人権)を守るためである・・・と。他にも,吉野作造は,「言論思想の自由」の重要さを述べ,「責任内閣制」の必要性を述べ,「衆愚政治」批判を展開し,「憲法の精神」が大事であることを強調している。
 
「民主主義」ではなく「民本主義」という用語を用いた理由は,僕たちが中学・高校の歴史の授業で習ったとおりではある。しかし,そのような制約がありながらも,吉野作造は,繰り返し,デモクラシーの重要性を説く。
 
吉野作造は,1933年(昭和8年)に逝去した。もし彼が戦後の,そして現在の日本社会を見たら,どう思うだろうか。
 
憲政の本義、その有終の美 (光文社古典新訳文庫)

憲政の本義、その有終の美 (光文社古典新訳文庫)

(ひ)

ジョー・オダネル『トランクの中の日本』(小学館)

ローマ教皇フランシスコが来日された。明日、長崎・広島と被爆地を回り、核廃絶と平和を求めるメッセージを世界に向けて発信されることだろう。

教皇は一昨年の末、「焼き場に立つ少年」の写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、配布された(この写真は、美智子上皇后も10年ほど前に取り上げられたことがある)。

ジョー・オダネルという米軍兵士が撮った写真である。
彼は終戦直後の長崎にやってきて、占領のようすを記録する任務に当たっていた。私的な写真は禁止されていたが、彼は禁を犯して何枚かの写真を残し、それをトランクの中に封印して、家族にも決して明けないように厳命していた。

長い年月の末、彼はその禁を自ら破って写真を公開し、核廃絶の声を挙げた。しかし、写真展は退役軍人会の反対に遭って中止され、オダネルは裏切り者扱いされる。妻も彼のもとから去って行った。

今、彼の写真が世界をかけめぐっている。弟の亡骸を背負い、唇を固く固く噛みしめ、焼き場で順番待ちをしている少年。その少年が誰なのかは、いまだわかっていない。

トランクの中の日本

トランクの中の日本

 

 (こ)