志村真幸『在野と独学の近代』(中公新書)

 南方熊楠研究者である著者が、熊楠を縦糸に、そして横糸にさまざまな在野の研究者たちを掛け合わせて織り成す、「学びと研究」の歴史である。

 最初に登場するのが、ダーウィン、そしてマルクスが続く。イギリスで数多くの「在野の研究者」が活躍した背景にはイギリスの大学が国家から独立して存在していたことがある。そして、インフラとして大英博物館の読書室が開放され、『ネイチャー』と『N&Q(Notes amd Queries)』が広く投稿を受けつけ、発表と議論の場として機能した。はじめに「研究者」があって、その中に、大学での教育活動によって禄を食む者が一定数いたにすぎない。

 日本でも当初はそうであった。柳田国男牧野富太郎がそうであったように、またオカルト研究で東大を追われた福来友吉が在野で研究を続けたように。しかし日本では、「官」が大きくなりすぎた。そして「官」が支配する研究の世界から「民」が締め出されていった。この研究の世界における「官と民」の関係性は、イギリスにおける研究活動が広く「公」のものであったことと、大きく異なる。

 社会学イリイチが、教育をするのが学校であるはずなのに、いつの間にか学校がすることが教育になってしまった、と喝破したが、研究についても同じことが起きているということか。大学教員だけが研究者ではない。

 今や、大学の先生は忙しすぎて研究できなくなってしまった。正直言うと、高校教員をしながらでも研究はできるが、大学の書庫に入れなかったりデータベースが使えなかったり、研究者番号をもらって国の研究助成に応募できなかったりなどのデメリットは多い。しかし、好きなことを日々知ろうとしている在野の研究者は、今も日本中にたくさん存在する。

 本書はそうした在野の研究者への応援歌であるようにも思った。

(こ)