外山薫『君の背中に見た夢は』(KADOKAWA)

 大先生、ごめんなさい、週末いろいろとあって、PCの前に座れませんでした。

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 今週読んだ中で澱のように残っているのが、この本である。それはいい意味でというよりも、後味の悪さのせいだと思う。

 お受験小説といえば、城山三郎の『素直な戦士たち』が思い浮かぶ。子どもを東大に入れようというスーパー教育ママによって、「最高の英才」に育て上げられようとする長男と、それに付き合わされる夫、そして放ったらかしの次男の話。読書の予想を裏切らず、妻も長男も壊れてしまうのだが、最後はほっこりと救われる。
 同じお受験小説でも、本書にはそれがない。ひたすら小学校受験に向けてすべてをなげうって奔走する複数の家族の姿が、隣に立って見ているように淡々と描かれる。高年収夫と専業主婦の妻、代々慶應卒の家、パワーカップル、それぞれの家庭が必死にお受験に取り組み続ける。その描写には「これはフィクションなのだ」という逃げ場がなく、息苦しい。そして、細木数子のように上から目線で受験生の親を操るお受験塾の塾長は、受験産業新興宗教と同じようなものだと白状しているようなものだ。
 これが東京の姿かと思うと、気持ち悪くなる(実際に義妹が東京都中央区に住んでいて、お受験する保育園ママ友の話を聞くと、そういうものらしい)。

 文芸論になってしまうが、これははたして文学といえるのだろうか?
小説神髄的にはそうなのかもしれないけど・・・でもなぁ・・・)


 著者の外山薫氏のプロフィールは、1985年生まれ、慶大卒、としか書かれていないが、タワマン文学の「窓際三等兵」の中の人なんだとか。

(こ)

神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)

・・・せんせい大丈夫~?

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4月からの朝ドラ「虎に翼」。先日、メインビジュアルが公開された。法服を身にまとった主人公(しかも戦前の法服!)。これだけでもテンションが上がる。

さて、このドラマの主人公にはモデルがいる。三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんである。日本で初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事であり、そして初の女性裁判所長となった方。もっとも僕もそのくらいしか前提知識がないので、ちょっと評伝を読んでみることに。神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』。

・・・波乱万丈の人生じゃないですか。

父・貞雄の赴任先のシンガポールで誕生。「嘉子」という名前は、シンガポールの漢字表記「新嘉坡」から一字を取ったという。やがて帰国し、青山師範学校附属小学校、東京女子高等師範学校附属高等女学校を経て、明治大学専門部女子部法科に周囲の反対を押し切って入学。

そして、昭和8年、弁護士法が改正され、それまで「成年以上ノ男子タルコト」とされていた弁護士資格が改められて、女性でも弁護士になることができるように。とはいえ、女性が弁護士になるには、まだまだハードルの高い時代であった。

・・・とまあ、書いていけば切りがないのだけれど、このあと嘉子は高等試験司法科(現在の司法試験)に合格し、修習を経て弁護士になる。一度目の結婚と長男の誕生、そして太平洋戦争と夫の死。司法省・最高裁判所での勤務と、判事補任官、そして女性初の判事へ。長男を連れての転勤生活、そして二度目の結婚・・・などなど、どこをとってもドラマチックな人生である。

今年(令和6年)採用された判事補81名のうち、女性は約42%(34名)を占め、新任判事補の女性比率は過去最高となった。嘉子が判事補になってから70年あまり。時代は少しずつ、だが着実に変わっていく。

神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター


(ひ)

繁田信一編『御堂関白記』(角川ソフィア文庫)

紫式部紫式部日記」、道綱母蜻蛉日記」、行成「権記」、実資「小右記」と読んできた日記シリーズ。いよいよラスボス、藤原道長御堂関白記」の登場である。さすがに分量が多いので、これも「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズで読むことに。

かっちりと客観的事実を記録する行成「権記」や、細かいけれどグチも多い実資「小右記」と比べ、この「御堂関白記」は、何だかざっくりとしたメモ書きのようなものが目立つ。

例えば長保元年9月20日の日記は「今朝初霰降」(今朝、初めて霰(あられ)降る)の5文字だけ。長保2年1月14日に至っては「無殊事」(殊なる事はなし)というたった3文字である。いかにも億劫そうな様子が目に浮かぶ。

基本的に漢文で記されているのだけれど、文法も漢字もしばしば怪しくなる。寛弘8年6月22日、一条天皇崩御の日記には「崩給」(崩じ給う)と書くべきところを「萌給」と誤記。萌えてどうする。わりと大雑把な人だったのだろうか。

かなりの頻度でひらがなや万葉仮名が用いられているのも目立つ。解説には「漢文の読み書きに堪能ではなかった道長は、ついつい話し言葉をそのまま書いてしまうことが少なくなかったのだろう。」(349頁)とある。

日記の節々に出てくる登場人物は、もはやおなじみの面々ばかり。藤原為時もたまに登場(寛弘6年7月7日、寛仁2年1月21日)。今では紫式部の父としてのみ知られる為時も、当時は彼自身が著名な詩人であった。

1000年も前の実質的な最高権力者の日記が自筆で現存しているというのは、これ自体、奇跡に近い。道長の人となりがほんのり伝わる面白い日記であった。

繁田信一編『御堂関白記』(角川ソフィア文庫


(ひ)

吉川祐介『限界分譲地』(朝日新書)

大先生が平安時代にはまっていらっしゃいますね、私も大河ドラマの方は楽しく拝見させていただいておりますが、あちこちにオマージュが埋め込まれていて、知識があるとなしとでは大違い(なくてさみしい)。

 

今週の新書は「限界分譲地」。「限界ニュータウン」の存在を世に知らしめたブロガー吉川氏による書き下ろしである。戦後の開発ブーム、あるいはバブル期に、居住以外の目的で開発された大都市郊外の分譲地や別荘地の中には、放棄された空き地が虫食い状に広がっているところがある。水道や街灯などのインフラも自治会で運営しているところも少なくないため、その維持がきわめて困難になっているところもある。売却しようにも買い手がつかないらしい、そりゃそうだろう。
ただし、限界分譲地にもいろいろとあるらしく、中には少々の不便はあっても一戸建てが格安の値段で手に入るということで、人気物件もあるのだそうだ。新潟県湯沢町のリゾートマンションの例も紹介されているが、意外に「負動産」は少ないとのこと。

著者は千葉県の限界分譲地で暮らしながら、成田や九十九里方面を中心に取材して発信を続けている。単に限界分譲地をおもしろおかしく取り上げるのではなく、その実態をいろいろな視点から掘り下げており、知らないことだらけでとても興味深く読み進められた。

 

昨日、東証の株価が34年ぶりにバブル期の最高値を更新した。バブルによって傷つき失われたものは、あまりにも大きかったということでもある。

(こ)

榎村寛之『謎の平安前期』(中公新書)

どっぷりとハマった平安時代という「沼」。しばらくは抜け出せそうにない。今回読んだのはこちら。榎村寛之『謎の平安前期』。

約400年にわたる平安時代。このうち前期に相当する約200年について論じた本である。

本書に「知られざる平安前期」ともあるように、確かに平安前期というのは印象が薄い。藤原道長とか紫式部とかはおおむね平安時代の折り返し点を超えた、いわば平安後期の人たちである。本書は10のテーマを立てて、この平安前期という謎めいた時期を語りつくす。

各章のタイトルは「すべては桓武天皇の行き当たりばったりから始まった」(第1章)、「男性天皇の継承の始まりと『護送船団』の誕生」(第4章)、「紀貫之という男から平安文学が面白い理由を考えた」(第8章)などと、軽妙で興味深いものが並ぶ。ただし中身はかなりハード。大学受験以来、忘れかけている知識を思い出しながら読み進めていく。

平安前期というのは、奈良時代律令国家・中央集権国家が変革していった時期であった。全国の土地を国有化(班田)して税収を上げる時代から、やがて国衙領と荘園の二重体制からなる「小さな政府」へと変化していった。

筆者によれば、8世紀の日本は、中国の律令制が日本という「新しい国」にどのように適合できるかという壮大な実験であり、「サイズの合っていない、新品の服を着た子どものような律令国家」であったという(266頁)。律令制的支配体制は「日本」という外枠を規定することができたが、その内側では「実体に合わない仕組みをどのように適合させるのか、多様な実験が各階層で行われていた」(267頁)。平安前期とは、まさに変革と挑戦の時代であった。

他方、8世紀には男性とともに国家を支えていた女官の役割が、平安時代に入ると次第に見えなくなり、その名前すら伝わらなくなった。紫式部清少納言は有名であるが、実名すら分かっていない。著者は、王朝時代の女性文学が華やかに発展したのは、女性の活躍する場が増えたからではなく、むしろ宮中で活躍できる場が少なくなり、サロンの中に集約されたためと指摘する。

榎村寛之『謎の平安前期』(中公新書

春増翔太『ルポ 歌舞伎町の路上売春 それでも「立ちんぼ」を続ける彼女たち』(ちくま新書)

毎日新聞社会部記者による良質のルポ。新聞記者の本領発揮というところだろう。ただしこういう記事は、おそらく金にはならないだろう、とも思う。私たちは、いつまでこういう記者によるこのような文章を読めるのだろうか。

本書の主役は4人。ユズ・モモ・レイという3人の女性と、支援NPOの男性(坂本さん)である。3人以外にも多くの女性が登場する。彼女たちへのインタビュー、つかず離れずの取材、ホスト、妊娠、入院。そして貯金を切り崩しながら彼女たちに寄り添い続ける坂本さん。よくある大学の先生の解説や大きな話はない。淡々と、彼女たちの姿が描写されつづける。その抑制のきいた取材姿勢と記述が、事態をありのままの姿で読者に放り投げる。どう考えるかは読者に委ねられる。読後、ずしりとくる。

 

トー横キッズ、という言葉を耳にしたのはいつのことだったか(大阪にはグリ下ができた)。こどもたちが光に集まる蛾のように集まって、無防備に夜の街に放り出される。そして歌舞伎町の大久保公園のこともちらほらと耳にするようになった。素人の女性が路上に立つ。報道ではどちらかというと、ホストに狂った女性の自己責任論が目立つように思う。警察の取り締まりやホストクラブ規制は解決にはつながらない。このように日本社会のセーフティネットが抜け始めたというのは、「脱貧困」あたりから警鐘がならされ続けてきたけれど、開いた穴がふさがる兆候はない。

港区女子と歌舞伎町の彼女たち、京都のおじさんには、どちらも同じように見える。一日中真面目に働いても6000円にしかならない現実の前に、彼女たちは1万5千円を手にできる路上に戻っていった(その金額が港区では高いだけだ)。彼女たちを消費する男性がいる限り、この構造は変わらない。そして、東京という街は、日本中から若い女性を収奪し、この国の未来を着実に食いつぶしている。

(こ)

小町谷照彦『藤原公任 天下無双の歌人』(角川ソフィア文庫)

道綱母蜻蛉日記」、行成「権記」、実資「小右記」ときたので、次は藤原公任である。といっても公任は著名な日記は残していないし、「和漢朗詠集」は選者にすぎない・・・などと思っていたら、手頃な評伝が出ていたので読んでみることに。小町谷照彦『藤原公任 天下無双の歌人』。

公任の生涯を、多数の和歌とともに紹介する人物評伝である。

摂関家の嫡男として生まれた公任。もっとも父・頼忠の関白就任は才覚ではなく、藤原兼通の「きまぐれ人事」であったという。とはいえ関白の子。順調に出世すれば公任も摂関の道を歩む可能性があったものの、同い年の藤原道長の存在があまりにも大きく、結局、公任はその「惑星」の存在にとどまった。

他方、漢詩・管弦・和歌などの才能はすぐれていた。中でも中心となるのは和歌の面である。著者は公任は「正統な和歌史の継承者としては、貫之と定家の中間に立つ人物」であり、「次代の和歌史の展開の基礎をつくりあげた」と評する(291頁)。

ところでこの公任、「枕草子」と「紫式部日記」の双方に登場している。

枕草子」では、清少納言に対して「少し春ある心地こそすれ」という歌の下の句を贈り、その応答を求める。清少納言は「空寒み花にまがへて散る雪に」と返す。どちらも「白氏文集」の詩句を踏まえたという、機知にとんだやり取りである。

紫式部日記」の方では、敦成親王五十日の儀で、酔った公任が「あなかしこ、このわたりに若紫や候ふ」と発言。・・・これ、大河ドラマでもやるよね?

小町谷照彦『藤原公任 天下無双の歌人』(角川ソフィア文庫