星野舞夜ほか『夜に駆ける-YOASOBI小説集』(双葉社)

YOASOBIが好きで,もう毎日毎日,繰り返し聞いている。・・いや,まあ最近聞き始めたにわかファンなんだけれど。

ということで,当然のようにこちらも購入。『夜に駆ける-YOASOBI小説集』。

YOASOBIは,「小説を音楽にするユニット」である。『夜に駆ける-YOASOBI小説集』は,YOASOBIの楽曲のうち,「夜に駆ける」「あの夢をなぞって」「たぶん」の3曲と未発表曲1曲の原作小説を収録している。

えっ,あの曲はそんなテーマだったの・・とか,だからそういうタイトルかぁ・・とか,これ,原作小説ではどっちが男でどっちが女かあえて特定していなかったんだなぁ・・とか,とにかくいろんな気付きがあって楽しい。

これらの小説はネットでも読めるのだけれど,やっぱり本が落ち着く。

曲だけでも十分,素晴らしい。でも原作小説を読めば,さらに深く,曲の世界に浸ることができるのである。

夜に駆ける YOASOBI小説集

夜に駆ける YOASOBI小説集


(ひ)

半藤一利・加藤陽子『昭和史裁判』(文春文庫)

 日本近代史が専門の東大の加藤先生が、「歴史探偵」半藤さんと、5人の昭和史の重要人物について、徹底的に検証するという企画。半藤氏が検察官役となり、加藤氏が弁護人役となって、対談が展開されていく。

 歴史裁判にかけられるのは、廣田弘毅近衛文麿松岡洋右木戸幸一昭和天皇の5人(最後だけ攻守(?)が入れ替わる)。

 それにしても、よくここまで知っているものだ・・・さすがご両人。

 戦前の指導者の政治責任については、お二人とも容赦しない。おじいちゃん大好きな安倍前首相や、日本会議のみなさんには、さぞかし癪に障ったことだろう。任命拒否とは情けない。

昭和史裁判

昭和史裁判

 

 (こ)

町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)

その声は,誰かに届くのだろうか。町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』。

九州の片田舎に引っ越してきた女性・三島貴湖。ある日,虐待が疑われる中学生くらいの子供と出会う。子供は言葉を発することができない。そしてまた貴湖自身も,凄惨な過去を抱えていた・・・。

52ヘルツのクジラとは,他のクジラが聞き取ることのできない,高い周波数で鳴くクジラのことをいう。それゆえその鳴き声は,他のクジラには,届かない。

つらい境遇にある。そしてそのような境遇にあることを,誰にも伝えられない。本作品は,そのような人たちの苦悩を「52ヘルツのクジラ」に重ねて紡いでいくという,切なくて悲しく,それでいていとおしい物語である。

「わたしは,あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ。」――この一言が,心に響く。

52ヘルツのクジラたち (単行本)

52ヘルツのクジラたち (単行本)


(ひ)

橋爪大三郎『パワースピーチ入門』(角川新書)

「なぜ安倍首相の会見スピーチは、心に響かなかったのか?」

コロナ禍の混乱にあって、私達はリーダーが発信するメッセージを待っていた。ドイツのメルケル、NYのクオモ、それに比べて、なんと日本のリーダーの言葉が貧しかったことか(安倍首相の言葉が響かないのは今に始まったことではないけれど)。

日本にもパワースピーチはあった。斎藤隆夫のいわゆる「三代演説」である。本書でもそのひとつ「国家総動員法演説」を例とする。透徹したロジックに裏付けられた余計な装飾のない文章が、信念を帯びてまっすぐに口から吐き出される。

パワースピーチは、テクニックを超えたものである。「口を開く人間と、耳を傾ける人間とのあいだにほとばしるスパーク」である。本書でも、安倍スピーチを(いちおう)添削している。しかしこれを安倍首相が読み上げても、はたしてパワースピーチになったかどうか。

やはり言葉には魂が宿る。

(個人的には、承久の乱の時の北条政子の演説が、日本を変えた最高のパワースピーチだと思っているのだが・・・) 

パワースピーチ入門 (角川新書)

パワースピーチ入門 (角川新書)

 

 (こ)

筒井康隆『残像に口紅を』(中公文庫)

筒井康隆、自作を語る』を読んだ後,久々に筒井康隆の作品を読みたくなった。というわけで,『残像に口紅を』。

ことばを使った,実験的小説である。

日本語表記の「音(おん)」が,一つ一つ消える。それとともに,その「音(おん)」を使ったことばも,そしてその存在も消えていく。「あ」が消えると,「愛」も「あなた」も消えていく・・。

主人公は小説家・佐治勝夫。自分が小説の登場人物であることを知っており,いわゆるメタフィクションでもある。

パソコンのない時代に,よくもまあこんな実験小説を書いたなあ,と思う。特に中盤以降,使える「音(おん)」が激減した状態で,筒井康隆は昭和チックな男女の情交シーン(のパロディ)を描き,主人公に文学論の講演をさせ(既に「す」が消えているので「~です。」「~ます。」が一切使えない!),さらにわずかな「音(おん)」のみで詩を吟じる。

僕が読んでいるこの作品は,小説なのか,それとも筒井康隆の壮大な「芸」を見ているのか・・・。

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)


(ひ)

油井大三郎『避けられた戦争 1920年代・日本の選択』(ちくま新書)

 1920年代には国際協調路線をとって世界平和をリードする大国のひとつであった日本は、1930年代には満州事変を引き起こし、九か国条約や不戦条約に最初に違反した不名誉を与えられ、日中戦争を経て1940年代には日米戦争へと自滅の道に突入していく。それはなぜか。そこには何があったのか。
 本書は1920年代の日本の中にあった「戦争を避ける選択肢の発掘」をめざして書かれている。その過程では、日本の国際的孤立を押した要因として「反中」「反米」「反ソ・反共」の3つの意識を重視し、これらを世界史的な「新外交の潮流」と日本国内の「旧外交」的世界観との緊張と共振のもとでの「満蒙特殊権益論」との関係性で整理する。その裏付けには、「日本史研究」「中国史研究」のみならず、「日米関係」「日中関係」さらには「米中関係」「英中関係」を含めた日本を取り巻く国際関係史を重層的に織り込んで、時系列を追って日本の転換をゆっくりと描いていく
 こうして「エピローグ 戦争を避ける道はあった」にまでたどりついたとき、読者は著者と「なんでこうなったんだろう」という忸怩たる思いを共有しながら、捨て去られた選択肢とその先にありえた可能性に思いを馳せることになる。

 本書はあえて「歴史のif」に向き合う。そのあたり、著者が社会学科から国際関係史で博士号を授与されたことも関係するのだろうか、歴史書でありながらも、歴史学の堅牢な事実の積み上げとは少し違った、社会科学的な実証法のにおいを感じる。そのため、自分としてはとても読みやすい論の進め方となっている(逆に歴史学の方面からは、そのアクロバティックさに異論も出ることだろう)。

 少し日本の学校教育の話に踏み込む。実は、こうした批判的思考を涵養することについては、1990年代からずっとカリキュラムに盛り込まれてきている。まもなく実施される新しい学習指導要領ではさらにこの点が進められ、未解決の問題に対して客観的データに基づいて解決策を考え、発信することが前面に押し出されている(これを「各教科」でやっていくところに今次改訂の大きな問題があると思っているのだが、この批判は教育学界隈ではまだ見ない)。ただし、問題解決の思考と実践が奨励される一方で、その問題の背後にある社会制度や体制そのものに対する考察まで踏み込むことは、教育現場ではタブーとなっている。
 「学校で近代史を必修に」という声が強くあがっている。しかしその声は、日本近代史に対する批判的な検討への要請ではあるまい。

 (こ)

辻堂ゆめ『あの日の交換日記』(中央公論新社)

交換日記をテーマにした,珠玉の7編。辻堂ゆめ『あの日の交換日記』。

つばめが丘総合病院に入院中の小学4年生・愛美(まなみ)。病室に訪問してくれる先生との間で,交換日記を始めてみた・・・(第1話「入院患者と見舞客」)。

どの話もいとおしい。しかも,ただ単に「いい話」というだけでなく,ほんの少し,ミステリ要素も含まれている。特に第4話「母と息子」は,そうだったのか!と意表を突かれた(ストーリー的にも心打たれた)。第6話「上司と部下」も,最終話前の変化球的な話で,面白かった。

で,最終話(第7話)の「夫と妻」。これが,もう・・・ね。

感動要素とミステリ要素との絶妙なバランス。改めて冒頭からパラパラと見直しているのだけれど,本当にいい作品ですよ。

あの日の交換日記 (単行本)

あの日の交換日記 (単行本)


(ひ)