油井大三郎『避けられた戦争 1920年代・日本の選択』(ちくま新書)

 1920年代には国際協調路線をとって世界平和をリードする大国のひとつであった日本は、1930年代には満州事変を引き起こし、九か国条約や不戦条約に最初に違反した不名誉を与えられ、日中戦争を経て1940年代には日米戦争へと自滅の道に突入していく。それはなぜか。そこには何があったのか。
 本書は1920年代の日本の中にあった「戦争を避ける選択肢の発掘」をめざして書かれている。その過程では、日本の国際的孤立を押した要因として「反中」「反米」「反ソ・反共」の3つの意識を重視し、これらを世界史的な「新外交の潮流」と日本国内の「旧外交」的世界観との緊張と共振のもとでの「満蒙特殊権益論」との関係性で整理する。その裏付けには、「日本史研究」「中国史研究」のみならず、「日米関係」「日中関係」さらには「米中関係」「英中関係」を含めた日本を取り巻く国際関係史を重層的に織り込んで、時系列を追って日本の転換をゆっくりと描いていく
 こうして「エピローグ 戦争を避ける道はあった」にまでたどりついたとき、読者は著者と「なんでこうなったんだろう」という忸怩たる思いを共有しながら、捨て去られた選択肢とその先にありえた可能性に思いを馳せることになる。

 本書はあえて「歴史のif」に向き合う。そのあたり、著者が社会学科から国際関係史で博士号を授与されたことも関係するのだろうか、歴史書でありながらも、歴史学の堅牢な事実の積み上げとは少し違った、社会科学的な実証法のにおいを感じる。そのため、自分としてはとても読みやすい論の進め方となっている(逆に歴史学の方面からは、そのアクロバティックさに異論も出ることだろう)。

 少し日本の学校教育の話に踏み込む。実は、こうした批判的思考を涵養することについては、1990年代からずっとカリキュラムに盛り込まれてきている。まもなく実施される新しい学習指導要領ではさらにこの点が進められ、未解決の問題に対して客観的データに基づいて解決策を考え、発信することが前面に押し出されている(これを「各教科」でやっていくところに今次改訂の大きな問題があると思っているのだが、この批判は教育学界隈ではまだ見ない)。ただし、問題解決の思考と実践が奨励される一方で、その問題の背後にある社会制度や体制そのものに対する考察まで踏み込むことは、教育現場ではタブーとなっている。
 「学校で近代史を必修に」という声が強くあがっている。しかしその声は、日本近代史に対する批判的な検討への要請ではあるまい。

 (こ)