岩合光昭『ねこ科』(クレヴィス)
新年おめでとうございます。
今年は子年。そのネズミにだまされて、ネコは十二支に入れてもらえなかったわけで、ネズミ年生まれの年男としては、その罪滅ぼしにネコの本からスタートします。
岩合さんの写真集『ネコライオン』がけっこう好きで、イエネコって野生を失わず、ライオンと並べてもまったく遜色ないというのが驚きだったのですが、さらにトラとヒョウとピューマとジャガーなどと一緒に並ぶと、その美しさがさらに際立つ気がします。
追伸:そんなのんきな年の始まりが、アメリカがイラクでイラン軍司令官を暗殺したとの報を前に、一気に暗転する。2020年は子どもたちが学ぶ歴史の教科書に何と書かれることになるのだろう・・・。
(こ)
毛利嘉孝『バンクシー アート・テロリスト』(光文社新書)
- 作者:毛利 嘉孝
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2019/12/17
- メディア: 新書
苅谷剛彦『追いついた近代 消えた近代 -戦後日本の自己像と教育―』(岩波書店)
今年の最後は、自分のフィールドから1冊。
私たちは、modernという英単語に「近代」と「現代」という2つの意味を与えている。「近代」と「現代」の違いは何かといわれると、実は明らかではない。そして日本の近代は日本の「(追いつき型)近代化」とセットになって進められてきた。そのため、「近代化」が終わったとされたとき、日本から「近代」が消えた、というのが著者の発見である。そして、日本の「近代化」の終わり(という勝手な定義)とともに、日本の迷走が始まった理由として、著者は、そもそも日本の「近代化」を主導した統治エリートたちが都合よく目標とするべき「近代」を定義し、そのための政策手段をひねり出し(著者は「エセ演繹型の政策思考」と酷評する)、トップダウン的に現場に落とし込んでいった政策プロセスの存在を指摘する。日本の教育改革(とその失敗)は著者の長年の研究テーマのひとつであるのだが、過去の個別の研究の積み上げが日本の「近代化」論と結びつくことで、大きな日本社会論となって示されている。かなり仮説的でアクロバティックな議論が展開される部分もあるが、そのあたりは社会学のお家芸ともいえるものであるし、分厚い事例研究と経験の蓄積がそれを補っている。本書は著者のイギリスでの研究生活の集大成となっている。
著者は、東大教授から公募でオックスフォード大学に移ったのだけれど、日本の「頭脳流出」はこれからも止まらないだろう。彼が日本の大学に見切りをつけたのは2008年。それから10年、事態はよりいっそうひどくなっている。今や、教育利権に群がる「お友達」のために教育「改革」がつぎつぎと実装され、畑違いの官僚たちが不倫旅行のついでにノーベル賞受賞者を恫喝しに行くなんていう、そんな国に成り下がってしまった。
来年も、すばらしい本との出会いに恵まれますように。
みなさま、よいお年をお迎えください。
(こ)
相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』(講談社)
今週,第162回直木賞の候補作が以下のとおり発表されました。
・小川哲『噓と正典』(早川書房)
・川越宗一『熱源』(文藝春秋)
・呉勝浩『スワン』(KADOKAWA)
・誉田哲也『背中の蜘蛛』(双葉社)
・湊かなえ『落日』(角川春樹事務所)
当ブログでも紹介した川越宗一『熱源』が,デビュー2作目で候補作入り! おめでとうございます!
・・・しかし,このラインナップは何なんでしょうね。湊かなえさんだけが4回目で,後は全員,初ノミネートという・・。
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さて。
今年のミステリの読み納めはこちら。相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』。
推理作家の香月史郎は,碧玉色の目の女性・城塚翡翠と出逢う。彼女は霊媒であり,死者の言葉を伝えることができるという。しかし,そこには証拠能力はなく,香月は論理の力を組み合わせて,事件に立ち向かう・・・。
読みながら想像はしていたものの,その少し斜め上を行く展開には思わず引き込まれた。好き嫌いが分かれる作品だとは思うけれど,僕にとっては良い作品でした。年末恒例のミステリランキング「このミス」と「本格ミステリ・ベスト10」の双方で1位を獲得したというのも,納得。
表紙イラストは,先週の『荒城に白百合ありて』に引き続き,遠田志帆さん。本作品の内容と完全にシンクロしていて,いい表紙です。
(ひ)
永井隆『この子を残して』(青空文庫)
インフルエンザで4日ほど寝込んだ。チビたちにうつしては大変なので父は4畳半の和室に隔離され、ちょっとしたバリケードを築いて立ち入りを禁止した。チビたちは遠目に、とうちゃん、だいじょうぶー、はやくよくなってね-、と気を遣ってくれる
今、妻が突然の事故で亡くなり、自分もこの病が治らず、2人の子どもを残してこの世を去らなければならないのだとしたら・・・?
永井隆は、静かに筆を執る。子どもへの思い、自らの体のこと、文章の多くは孤児問題と敗戦直後の世相に割かれつつ、神のこと、イエスのこと、戦争のこと、原爆や放射能のこと、あるいは日常を切り取ったエッセイと、話は尽きない。子を失った隆の友人たちが尋ねてきては、彼の子どもたちを大切にしてくれる。
若いことにも読んだ。正直、少しうっとうしいと思った。
今、同じ2人の子の父として、涙なくしては読むことができない。
死病にかかっている父、二人の幼い孤児予定者――これが如己堂の住人である。この三人の人間が生きてゆく正しい道はどこにあるのか? ――それを探して苦しみ悩み考え、祈り、努めてきた。私が考えたこと、子供たちがしたこと、子供に話したこと、今わかりそうにないから書いておいて後で読んでもらうこと――それを、そのままこの書に書いた。
先日、浦上天主堂でのミサの後、少し遠回りをして、長崎市永井隆記念館に足を運んだ。
サンパウロから刊行された『永井隆全集』全3巻は、2・3巻が絶版。1巻も在庫があるだけだったので、1冊購入。
(こ)