辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』(講談社現代新書)

大先生、今回も直木賞的中、さすがです!

 

今年の祇園祭ももうすぐ幕を閉じるのだが、例年祭りの後になると「近代国家日本」について考えてしまう。江戸時代、あるいは室町時代から脈々と続くしきたりや懸装品を前にすれば、近代日本もひとつの時代として相対化され、次の日本の政体がどうなってもこの祭はずっと続いていくのだろうという確信に近い思いが自然と湧いてくる。
そしてこの思いを強化するのが、もううんざりなのだが、毎年8月になると勃発する、太平洋戦争をめぐる議論にもなっていないあのやりとりである。

 

そんなときに手にしたのは『「戦前」の正体』。サブタイトル(愛国と神話の日本近現代史)にもあるように、これまでにもさまざまな「国威発揚」のからくりを解きほぐしてきた辻田氏が、いよいよ本丸を解体しにかかるのか。

感想としては、ちょっと対象が大きすぎた気もする。彼の豊富な知識と軽やかな語り口は、国威発揚のためのプロパガンダに利用された小道具を徹底的にいじりながらの「ユウレイの正体見たり」のようなタネ明かしの方が、個人的にはストンと腑落ちできるように思う。
(軍歌研究に始まり、『ふしぎな君が代』とか『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』とかあたりの射程が個人的には好き。)

 

本書もまた、神武天皇教育勅語、八紘一宇靖国神社などのさまざまな「特別な国」「美しい国」を演出する小道具の創出と浸透の過程を通して、神話国家である戦前日本を整理する。見事である。明治維新とは統治の正統性を神代にまで遡るという作業なのだから、虚構をつくりあげさえすればどんな社会変革だって正当化される。

王様は裸だ。

ただ、王様が裸であることに耐えられない人たちの声が、王様に見えない服を着せ続ける。その服は当時と違っていても構わない。何せ虚構なのだから、自分の見たい服を着せていればいい。
何とも厄介な怪物を、明治の元勲たちは創ってくれたものだ。

(こ)