ジッド『法王庁の抜け穴』(三ツ堀広一郎訳・光文社古典新訳文庫)

去年くらいからなんだかフランス文学づいている。今回はこちら。ジッド『法王庁の抜け穴』。

無神論者のアンティム。凡庸な作家のジュリウス。純朴なカトリック信者のアメデ――。「幽閉されたローマ法王を救い出す」という壮大な詐欺計画の下、社会階層も価値観も異なる人々の人生が交錯する・・・。

『狭き門』や『田園交響楽』は読んだことがあったが、本作は初見。どことなくお堅い雰囲気の前2作とは異なり、本作は遊び心にあふれた、どことなく軽妙なタッチの物語である。

・・・と思いながら読み進めていくと、最終章の「第5の書」でやや雰囲気が変わる。ここでの主人公は青年ラフカディオ。何の不自由もない生活を手に入れたはずの彼が行ったのは「無償の行為」、すなわち理由なき犯行である。金目当てでも怨恨でもない、何ら合理的理由のない犯罪行為。そのような行為はあり得るのか。そもそも人は常に合理的で論理的な行動をとるものなのか。さらにいえば、物語の登場人物とはどうあるべきなのか――。

登場人物の一人である作家・ジュリウスは、次のように言う。登場人物には論理・首尾一貫性があるべきだと考えていたが、それはどうも自然ではなかった、と(本書357頁)。

メタ議論的でもあるこの発言は、本書を貫くテーマの一つでもあった。

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ジッド『法王庁の抜け穴』


(ひ)