H・G・ウェルズ『タイムマシン』(池央耿訳,光文社古典新訳文庫)

島本理生さん直木賞受賞おめでとうございます! 問題作だなんて言ってごめんなさい。テーマが重すぎるだなんて言ってごめんなさい。皆さんぜひ読もう! 読んで,主人公・真壁由紀の,そして被告人・聖山環菜(かんな)のつらさ,苦しさを共感しよう! 大丈夫。明日はきっと今日より良くなるから。

窪美澄さん,残念でした! でも,初ノミネートにもかかわらず,選考会では最後まで島本理生さんと競り合ったというし,最初の投票ではトップだったというではないですか。次回作に期待します!

木下昌輝さん,残念でした! やはりデビュー作『宇喜多の捨て嫁』と比較されてしまいましたね(選評で言及されていました)。そう,僕たちは,よく整理された歴史小説よりも,デビュー作のような,暗くて,混沌として,ギラギラした荒削りの歴史小説が読みたいのです。次回作に期待します!

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さて。

せんせいお勧めの『平成史』を読んでいると,H・G・ウェルズ『タイムマシン』に言及した部分があった。

『タイムマシン』かあ。読んでないなあ。こういうのって子供のころに読まないと,そのまま大人になっても読まないままなんだよなあ。そういえば数年前に新訳が出ていたなあ。・・・読んでみるか。

というわけで読んでみると,・・・おおっ,これは文明批評,階級社会批判ではないか。

アメリカ合衆国でしばらく生活してからイギリスに行った際,イギリスという国が,実は結構な階級社会,身分社会であるように感じたことがある。

もちろんアメリカ合衆国にも貧富の差とか人種差別とかはあるが,それは「階級」とか「身分」とかいうのとは少し違っていて,イメージ的には,平べったい地面の上に,金持ちとか貧困とか,様々な人種とかがいろんな背の高さでひしめき合っている感じである。これに対してイギリスは,歴史的な経緯に基づく「階級」というものが結構残っている。何というか,そもそも人が依って立つ地面自体が「階級」によって異なるようなのである(あくまで個人の感想です。)。

『タイムマシン』は,このような階級社会で暮らしたイギリス人,H・G・ウェルズでなければ書けない小説だったのかもしれない。

なお,今回の新訳(池央耿の訳),語調が工夫されていて結構面白い。ちょうどこの作品が発表された1895年頃の日本語に調整されているのである。漱石とか鴎外とかが翻訳していたら,こんな語調になっていたんだろう。

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

(ひ)

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)

『宇喜多の楽土』おもしろかったです。直木賞は残念でしたね。

 

さて、今週はちょっとAIとシンギュラリティについて思うところがあって、何冊かまとめて読んでみた。

そうした中で、あらためて本書がよくまとまった本だということがわかったので、読み直してみる。

本書には大きく3つの主題があって、「東ロボくん」開発を通したAIの歴史と現状、その背景にある数学とは何かという解説、そして今の中高生の学力問題、のそれぞれがきちんとまとまって書かれていて、わかりやすくておもしろい。本書に対してはすでにいろいろな反論や議論が百出しているけれど、今後、この本を抜きに語れない「古典」としての地位を半年で確立してしまった感もある。

3つめのテーマ、すなわち著者たちが「東ロボくん」開発過程で得た知見を学生相手に応用してみたくだりがあって、AIが苦手とする分野に対する正解率が二極化していることに著者は警鐘を鳴らす。本来ならこの手の発見は、毎年何億円かけて実施されている、文部科学省の「全国学力・学習状況調査」によって測定され発見され対策されていて然るべきであって、何のためにやってんだか・・・と思ってしまった。 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

(こ) 

直木賞大予想!

いよいよ来週7月18日(水),第159回直木三十五賞が発表されます。
どの作品が栄冠を勝ち取るか。誰が「直木賞作家」との肩書き(?)を勝ち取るか。
今回はその大予想をしたいと思います。
・・・なお,ノミネート作品のうち上田早夕里『破滅の王』と本城雅人『傍流の記者』はコメントできるだけの情報がないのです(読んでないし)。ごめんなさい。

湊かなえ『未来』(双葉社

湊かなえ。デビュー作『告白』からはや十年。次々とヒット作を飛ばし,様々な賞を受け,直木賞もこれが3回目のノミネート。まさに女王としての風格も出てきている上,ノミネート作『未来』は結構売れている。以上からすれば,今回,最も直木賞に近いといえる・・・はずが。

この『未来』,まさかの低評価なんですよね。どのレビューを見ても。
あまりの低評価ぶりもあって,しかもその理由がいずれも「ああ,なるほど」と思わせるものばかりというのもあって,実は僕も読んでいない。
この作品でノミネートというのは,運命のいたずらみたいなのを感じます。

・木下昌輝『宇喜多の楽土』(文藝春秋

抜群の安定感です。作家としても,作品としても。安心して読める。むしろ安定感がありすぎてどうか,というくらい。

ライバルがあるとすれば,他のノミネート作品ではなく,木下昌輝自身のデビュー作『宇喜多の捨て嫁』ではないでしょうか。あれはやはり,すごかった。あれと比べてしまうと・・・というところがあるにはある。

窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎

実は窪美澄,今回が初めてのノミネートだったんですね。既に1,2回くらいノミネートされていた印象もあったので,ちょっと意外。

作品自体はとても読みやすいし,現代社会というものの描き方,特に都会と地方の違いとか,高齢者とか介護とか,そういうものを取り上げながらも文芸作品としてうまくまとめているところが,よかったなあと思います。初めてのノミネートというところがネックではありますが(それでも受賞例はあります。昨年の佐藤正午とか),結構いいところまでいくのではないでしょうか。

島本理生『ファーストラヴ』(文藝春秋

今回の問題作です。テーマは重い。とてつもなく重い。あまりに重すぎてちょっと・・・というところがどうか。あと,序盤に手探りのまま話が進んでいくところで若干のフラストレーションを感じましたが,これは僕だけでしょうか。

個人的には,そろそろ芥川賞候補と直木賞候補のキャッチボール状態を解消してあげれば・・・とも思うのですが,いずれにせよ,選考委員に激賞されるか,それともコテンパンにけなされるか,どちらかのような気がします。

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ということで,私の予想は,

本命:木下昌輝『宇喜多の楽土』(文藝春秋
対抗:窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎

です。湊かなえはあえて外してみましたが,どうでしょうか。

発表まであと数日。楽しみにしたいと思います。

(ひ)

森見登美彦『宵山万華鏡』(集英社文庫)

 今日は宵山
 年に一度、夢か現か、京の街にワンダーランドが現れる夜・・・。

 舞台は京都・洛中。7月16日夜、祇園祭宵山の雑踏に迷い込んでしまった小学生の姉妹の話。蟷螂山、南観音山、鯉山、駒形提灯、偽祇園祭祇園祭司令部特別警務隊、金魚鉾、宵山様と孫太郎虫と大坊主・・・。そして姉妹は、結界を破って烏丸通りに出る。京都タワーを見ながら家路を急ぐ。

 森見作品の中では、個人的には『有頂天家族』『新釈走れメロス』と並んで好きな作品である。装丁がまた、幻想的で美しい。

 いらぬことかもしれないが、蟷螂山と鯉山と黒主山が一緒に登場する「宵山」は、2014年の後祭復活によってもうなくなってしまい、バレエ教室のある衣棚町では(休み山である)鷹山のお囃子が復活して10年以内の巡行復帰をめざしている。悠久の時の流れを象徴するはずの宵山という舞台設定が、逆に時代性を感じさせるものになってしまうとは、まさか作者も考えが及ばなかったのではないだろうか。

 ともあれ、京の夏は、山鉾巡行とともに訪れ、五山の送り火とともに去る。
 二階囃子は始まっていて、もうすぐお山や鉾が辻に立ち始める。

 今年も京の街に、ワンダーランドが現れる。
 ぜひ、迷い込みに、いらしてください。

宵山万華鏡 (集英社文庫)

宵山万華鏡 (集英社文庫)

 

 (こ)

瀧羽麻子『ありえないほどうるさいオルゴール店』(幻冬舎)

たまには心安らぐ連作短編集を。ということで,瀧羽麻子『ありえないほどうるさいオルゴール店』。

運河のある北の町でひっそりと営業しているオルゴール店。その店主にはある「能力」があった。“お客様の心に流れる曲”を仕立ててくれるという・・・。

1作目の「よりみち」で読者の心をつかみ,2作目の「はなうた」で軽く変化球を投げる。その後も,このちょっと不思議なオルゴール店を軸に,心優しい話が続いていく。

それにしても,オルゴール店というのはいい着想だと思う。それぞれの物語の中の曲がどんな調べなのかは,読者にゆだねられている。その分,想像力が膨らむ。

個人的には,女の子4人の友情を描いた「おそろい」と,老夫婦のちょっといい話「おさきに」が良かった。

号泣はしないけれども,いずれも心にしんみり染み渡るよい話である。

ありえないほどうるさいオルゴール店

ありえないほどうるさいオルゴール店

(ひ)

佐藤優・片山杜秀『平成史』(小学館)

 2018年6月18日。揺れた。
 震度5を体験したのは、1995年1月17日、2011年3月11日に次いで、3度目だ。
 平成という時代がまもなく終わる。平成はいろんなものが揺れた時代だった。

 このふたりが語る「平成」という時代は、昭和という知的に洗練された「大きな物語」に支えられた時代と違って、ポストモダンの嵐の中で「小さな差異」ばかりが強調される時代である。大きな物語の喪失は、コツコツ勉強して真面目にやったらきっと報われるという神話が消滅したことでもある。そうした中で、右肩上がりの時代から、足の引っ張り合いの時代が始まる。
 そんな時代だからこそ、一貫性がなく実証性と客観性に乏しく場当たり的で曖昧で刹那的な安倍晋三という人物の言葉が次から次へと吐き出され続けるのだというふたりの認識は、とてもわかりやすい。
 もっともその流れは、小泉純一郎菅直人野田佳彦から受け継いだものであり、逆に何でも計算できると考え計算しようとした鳩山由紀夫はすぐに政権から追われることになる。

  思想史に造詣の深いふたりの対談なので、議論の奥行きがとにかく深く、射程がとにかく広い。平成の終わりを前にして、ぱらぱらと出始める「平成史」の中でも、ちょっと異色の1冊。

平成史

平成史

 

 (こ)

ジョン・リード『世界を揺るがした10日間』(伊藤真訳,光文社古典新訳文庫)

「『岩波文庫の100冊の本』って知ってるか? 僕ら学生の頃は,東大・京大生はこれを70冊読め,って言われてたんや。君ら,読んでへんやろ。」
4,5年前,ある会合で70歳近くの大先輩から言われた言葉である。帰宅してから調べてみると,昭和36年に丸山眞男ら当時の知識人が選んだ100冊の岩波文庫とのこと。
タイトルをざっと眺めてみると,なじみのありそうなものばかりだったので,結構読んでいるのではないかと思って数えてみたら・・・これが全然読んでいない。
さすがにまずいと思って読み始めた。

とはいえ,50年以上も前の岩波文庫の100冊である。クラシカルなものが多い上,今では版元品切れになっているのも少なくなく,また文庫版で5巻もの,10巻ものといった超大作もあったりする。まあ,とりあえずチャレンジしてみようと思い,他の文庫で新訳が出ているものはそちらを読んだりもしながら,少しずつ数をこなしていった。さすがに60冊を超え,65冊を超えたあたりから,一冊一冊が苦しくなったりしたのだけれど(手頃な作品はおおかた読み終えていたので,あとはそれなりに分量のあるものか,古本屋でしか入手できないものばかりになってきた),せっかくここまで来たのなら・・・と意地になって読み進めた。

それが,ようやく70冊に達した。記念すべき70冊目は,ジョン・リード『世界を揺るがした10日間』。岩波文庫版ではなく,最近出た光文社古典新訳文庫版。

1917年11月,ロシア革命の10日間を描いたルポルタージュである。当時の熱意と,熱気と,情熱とが伝わってくる。もっとも,僕らはその後の歴史も知っているので,やや複雑な思いもあるのだけれど,それでも,歴史が動く瞬間に立ち会わせたジョン・リードの興奮が,どのページからもリアルに沸き上がってくる。

さて,70冊読み終えた。冒頭の大先輩に報告したいところだが,残念ながら,その大先輩はお亡くなりになってしまった。

今なら星空に向かって伝えたい。70冊,読みましたよ,と。

「そうか。ほな,次は80冊目を目指して読め。」と言われそうだが。

世界を揺るがした10日間 (光文社古典新訳文庫)

世界を揺るがした10日間 (光文社古典新訳文庫)

(ひ)