遠藤周作『女の一生 2部 サチ子の場合』(新潮文庫)

 幼馴染のサチ子と修平、そしてコルベ神父の3人の人生を交差させながら、少しずつ息苦しくおかしくなっていく時代の中で、しかしそんな時代だからこそ浮かび上がる人間愛が、静かに、熱く、円熟期の遠藤周作が筆遣いによって紡ぎだされていく。
 コルベ神父は囚人の身代わりとなってアウシュビッツで死を迎える。修平は学徒動員されて特攻隊に「志願」する。そしてサチ子は長崎の街で「あの日」を迎える。ボックスカーからファットマンを投下するパイロットが、修平とサチ子の幼馴染のジムであるという設定も、罪深い。

 

 うちの学校の中学3年生は、修学旅行に長崎に行く。
 学年主任が「担任団からの夏休みの宿題!感想文提出!」と終業式の日に生徒に配ったのが、『女の一生』であった。(去年は現代文の時間に遠藤周作『沈黙』を扱ったし、その前は林京子祭りの場』を読んだりと、学年によって違う。)
 え、女の一生ですか?、と最初思ったのだが、「ぼく、沈黙、あかんねん」と主任。
 その主任がつくってくれた解説プリントには、長崎の地図が載っていて、出てきた地名をペンで囲みながら、80年前の長崎を旅する。
 「海と毒薬」「沈黙」「母なるもの」と続いてきた遠藤周作のテーマが、ここに一気に昇華する。何度も胸が熱くなり、ため息をつきながら一気に読む。
 浦上天主堂でミサにあずかりながら、あるいは外海の「沈黙の碑」の前に立ちながら、思い出して余韻にひたってみたい。

 

 そしてまもなく、今年も8月9日がやってくる。

女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)

女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)

 

 (こ)

橋爪大三郎=植木雅俊『ほんとうの法華経』(ちくま新書)

『日経おとなのOFF』という雑誌があって,1,2年に一度くらい,名著特集をする。今月発売の8月号がその名著特集の号で,古今東西の様々な名著が紹介されている。この8月号を眺めながら,この本は読んだなあ,とか,まだ読んでないなあ,今度読もうかなあ,などと思っていると・・・

法華経

が出てきた。法華経? お経じゃないか? そもそも読めるのか?(失礼)。
気になったので読んでみることにした。といっても,いきなり原典の現代語訳に当たるのはハードルが高そうなので,この本にしてみた。橋爪大三郎=植木雅俊『ほんとうの法華経』。

ご存じ橋爪大三郎と,サンスクリット原典からの現代語訳を行った研究家・植木雅俊との対談である。基本的に,橋爪氏が質問し,植木氏がそれに答える,という形で進められていくのであるが,橋爪氏の質問がうまく,植木氏の解説を本当に上手に引き出している。しかも内容は単なる入門書にとどまらず,法華経の第1章「序品(じょぼん)」から第27章「嘱累品(ぞくるいぼん)」までを,一つ一つ丁寧にたどっていく(おかげで新書にしては随分と分厚くなったが)。ところどころに挿入されているキリスト教との対比や,法華経の成立過程の話(どの章がどこで後から付け加えられたか,等)も,我々の理解を助ける。

最澄が「最高の経典」と述べ,日蓮が最も大切にし,法然親鸞も修行中に学び,道元も晩年に心服した『法華経』。さらにさかのぼれば聖徳太子も注釈書(三経義疏)を書いていた。このような歴史上の人物が連綿と読み継いできたテキストを,現代に生きる僕も読んでいる(あくまで対談の中で紹介されている限りで,だけど)というのは,ちょっと不思議な体験である。

次はいよいよ,現代語訳を全部通して読んでみるか。いつ読めるのか,そもそも読み切れるのか,あんまり自信はないけれど。

ほんとうの法華経 (ちくま新書)

ほんとうの法華経 (ちくま新書)

(ひ)

小山茂仁『私学の民主化 理論と実践』(私学ニュース社)

 すみません、一般にはほとんど手に入らない変な本について書きます。
 「おすすめ」ではないのですが、けっこう(いろんな意味で)自分として考えることが多かったもので・・・。

 

 本書は1980年の刊行で、1970年代に著者が行った講演や著した論考をまとめたもの。著者は京都女子学園の教職員組合委員長や京都私学教職員組合連合書記長などを歴任した、1970年代の京都私学の組合運動をバリバリやっていた人です。当時の京都の組合運動は立命館と京都女子が中心になっていたというから、そのころの組合で行われていた議論をかなり反映させているのではないかと思われます。
 1970年代といえば、学生紛争や70年安保闘争も終わり、一方で高度成長期も終わったころになります。高校進学率が9割に迫り、事実上の全入状態に近づきつつあったころ。また、全国的には革新自治体がピークを迎えており、京都も蜷川革新府政の絶頂期でした。私学行政的には、私立学校振興助成法(私学助成)が成立し、私学関連の法制度が整った時期でもあります。今話題の「給特法」(ホワイトカラーエグゼンプションのさきがけ)が成立したのもこの時期になります。

 

 いや~~~
 時代を感じました。

 

 学園の「民主化」を主張し、自民党保守反動政権と反動経営者をコテンパンに批判し、教育づくりが私学の発展には欠かせないとして、国民のための私学をつくるために公立普通科の増設と並んで私学助成の拡充を要求し、「公費私学」論をぶちまけます。
 そんな主張をしているうちに、自民党文教族のリーダー・西岡武夫氏と、谷岡学園の理事長との鼎談がセッティングされるのだけれど、文教行政にとても詳しい西岡氏と谷岡氏が具体的な話で盛り上がるのに、小山氏だけが観念論を振りかざしてひとり浮きまくっているのは、今にして読めば滑稽でもありました。
 この「対話のなさ」は、この当時の教育学にもあてはまるように思うし、実証主義としての教育学の発展を著しく遅らせたなぁと思うのです。

 1980年代になるとこの路線を批判し「対話」を模索する動きが、京都の私学教職員運動に出てくる。一方で全国レベルでは日教組が分裂し、日教組私学部は全教に参加するとともに、全国私教連として独立を果たす。こうして、共産党のみならず、経営者との対話、保護者との連携、自民党を含む全政党へのアプローチ、という運動が、全国で展開されるようになって、現在にいたる、というわけです。

 今、「教師の働き方改革」が主張され、部活動の見直しや業務の見直しなどが話題になっているのだけれど、今の教師の働き方や権利関係が固まったのが1970年代。あのころ何があって、だから今こうなっている、というのを、この夏の間に掘り起こしてみようと思った次第。

 

 ちなみに借りてコピーとって読んだので画像はなし。ごめんなさい。

(こ)

 

H・G・ウェルズ『タイムマシン』(池央耿訳,光文社古典新訳文庫)

島本理生さん直木賞受賞おめでとうございます! 問題作だなんて言ってごめんなさい。テーマが重すぎるだなんて言ってごめんなさい。皆さんぜひ読もう! 読んで,主人公・真壁由紀の,そして被告人・聖山環菜(かんな)のつらさ,苦しさを共感しよう! 大丈夫。明日はきっと今日より良くなるから。

窪美澄さん,残念でした! でも,初ノミネートにもかかわらず,選考会では最後まで島本理生さんと競り合ったというし,最初の投票ではトップだったというではないですか。次回作に期待します!

木下昌輝さん,残念でした! やはりデビュー作『宇喜多の捨て嫁』と比較されてしまいましたね(選評で言及されていました)。そう,僕たちは,よく整理された歴史小説よりも,デビュー作のような,暗くて,混沌として,ギラギラした荒削りの歴史小説が読みたいのです。次回作に期待します!

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さて。

せんせいお勧めの『平成史』を読んでいると,H・G・ウェルズ『タイムマシン』に言及した部分があった。

『タイムマシン』かあ。読んでないなあ。こういうのって子供のころに読まないと,そのまま大人になっても読まないままなんだよなあ。そういえば数年前に新訳が出ていたなあ。・・・読んでみるか。

というわけで読んでみると,・・・おおっ,これは文明批評,階級社会批判ではないか。

アメリカ合衆国でしばらく生活してからイギリスに行った際,イギリスという国が,実は結構な階級社会,身分社会であるように感じたことがある。

もちろんアメリカ合衆国にも貧富の差とか人種差別とかはあるが,それは「階級」とか「身分」とかいうのとは少し違っていて,イメージ的には,平べったい地面の上に,金持ちとか貧困とか,様々な人種とかがいろんな背の高さでひしめき合っている感じである。これに対してイギリスは,歴史的な経緯に基づく「階級」というものが結構残っている。何というか,そもそも人が依って立つ地面自体が「階級」によって異なるようなのである(あくまで個人の感想です。)。

『タイムマシン』は,このような階級社会で暮らしたイギリス人,H・G・ウェルズでなければ書けない小説だったのかもしれない。

なお,今回の新訳(池央耿の訳),語調が工夫されていて結構面白い。ちょうどこの作品が発表された1895年頃の日本語に調整されているのである。漱石とか鴎外とかが翻訳していたら,こんな語調になっていたんだろう。

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

(ひ)

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)

『宇喜多の楽土』おもしろかったです。直木賞は残念でしたね。

 

さて、今週はちょっとAIとシンギュラリティについて思うところがあって、何冊かまとめて読んでみた。

そうした中で、あらためて本書がよくまとまった本だということがわかったので、読み直してみる。

本書には大きく3つの主題があって、「東ロボくん」開発を通したAIの歴史と現状、その背景にある数学とは何かという解説、そして今の中高生の学力問題、のそれぞれがきちんとまとまって書かれていて、わかりやすくておもしろい。本書に対してはすでにいろいろな反論や議論が百出しているけれど、今後、この本を抜きに語れない「古典」としての地位を半年で確立してしまった感もある。

3つめのテーマ、すなわち著者たちが「東ロボくん」開発過程で得た知見を学生相手に応用してみたくだりがあって、AIが苦手とする分野に対する正解率が二極化していることに著者は警鐘を鳴らす。本来ならこの手の発見は、毎年何億円かけて実施されている、文部科学省の「全国学力・学習状況調査」によって測定され発見され対策されていて然るべきであって、何のためにやってんだか・・・と思ってしまった。 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

(こ) 

直木賞大予想!

いよいよ来週7月18日(水),第159回直木三十五賞が発表されます。
どの作品が栄冠を勝ち取るか。誰が「直木賞作家」との肩書き(?)を勝ち取るか。
今回はその大予想をしたいと思います。
・・・なお,ノミネート作品のうち上田早夕里『破滅の王』と本城雅人『傍流の記者』はコメントできるだけの情報がないのです(読んでないし)。ごめんなさい。

湊かなえ『未来』(双葉社

湊かなえ。デビュー作『告白』からはや十年。次々とヒット作を飛ばし,様々な賞を受け,直木賞もこれが3回目のノミネート。まさに女王としての風格も出てきている上,ノミネート作『未来』は結構売れている。以上からすれば,今回,最も直木賞に近いといえる・・・はずが。

この『未来』,まさかの低評価なんですよね。どのレビューを見ても。
あまりの低評価ぶりもあって,しかもその理由がいずれも「ああ,なるほど」と思わせるものばかりというのもあって,実は僕も読んでいない。
この作品でノミネートというのは,運命のいたずらみたいなのを感じます。

・木下昌輝『宇喜多の楽土』(文藝春秋

抜群の安定感です。作家としても,作品としても。安心して読める。むしろ安定感がありすぎてどうか,というくらい。

ライバルがあるとすれば,他のノミネート作品ではなく,木下昌輝自身のデビュー作『宇喜多の捨て嫁』ではないでしょうか。あれはやはり,すごかった。あれと比べてしまうと・・・というところがあるにはある。

窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎

実は窪美澄,今回が初めてのノミネートだったんですね。既に1,2回くらいノミネートされていた印象もあったので,ちょっと意外。

作品自体はとても読みやすいし,現代社会というものの描き方,特に都会と地方の違いとか,高齢者とか介護とか,そういうものを取り上げながらも文芸作品としてうまくまとめているところが,よかったなあと思います。初めてのノミネートというところがネックではありますが(それでも受賞例はあります。昨年の佐藤正午とか),結構いいところまでいくのではないでしょうか。

島本理生『ファーストラヴ』(文藝春秋

今回の問題作です。テーマは重い。とてつもなく重い。あまりに重すぎてちょっと・・・というところがどうか。あと,序盤に手探りのまま話が進んでいくところで若干のフラストレーションを感じましたが,これは僕だけでしょうか。

個人的には,そろそろ芥川賞候補と直木賞候補のキャッチボール状態を解消してあげれば・・・とも思うのですが,いずれにせよ,選考委員に激賞されるか,それともコテンパンにけなされるか,どちらかのような気がします。

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ということで,私の予想は,

本命:木下昌輝『宇喜多の楽土』(文藝春秋
対抗:窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎

です。湊かなえはあえて外してみましたが,どうでしょうか。

発表まであと数日。楽しみにしたいと思います。

(ひ)

森見登美彦『宵山万華鏡』(集英社文庫)

 今日は宵山
 年に一度、夢か現か、京の街にワンダーランドが現れる夜・・・。

 舞台は京都・洛中。7月16日夜、祇園祭宵山の雑踏に迷い込んでしまった小学生の姉妹の話。蟷螂山、南観音山、鯉山、駒形提灯、偽祇園祭祇園祭司令部特別警務隊、金魚鉾、宵山様と孫太郎虫と大坊主・・・。そして姉妹は、結界を破って烏丸通りに出る。京都タワーを見ながら家路を急ぐ。

 森見作品の中では、個人的には『有頂天家族』『新釈走れメロス』と並んで好きな作品である。装丁がまた、幻想的で美しい。

 いらぬことかもしれないが、蟷螂山と鯉山と黒主山が一緒に登場する「宵山」は、2014年の後祭復活によってもうなくなってしまい、バレエ教室のある衣棚町では(休み山である)鷹山のお囃子が復活して10年以内の巡行復帰をめざしている。悠久の時の流れを象徴するはずの宵山という舞台設定が、逆に時代性を感じさせるものになってしまうとは、まさか作者も考えが及ばなかったのではないだろうか。

 ともあれ、京の夏は、山鉾巡行とともに訪れ、五山の送り火とともに去る。
 二階囃子は始まっていて、もうすぐお山や鉾が辻に立ち始める。

 今年も京の街に、ワンダーランドが現れる。
 ぜひ、迷い込みに、いらしてください。

宵山万華鏡 (集英社文庫)

宵山万華鏡 (集英社文庫)

 

 (こ)