大阪関西万博には2回行ってきた。1回は家族で、もう1回は生徒を引率して。
じわじわと盛り上がっていって、会期末の今は連日の超満員となっており、4月に遠足で生徒連れて行けばよかった、というのは結果論であるが、あのころはバスの手配が出来ずに「そもそも行けへんやん」と検討すらしなかったし、安全性などのいろいろなことが問題になっていたので、仕方ない。
さて、万博開幕前に、高騰する建設費やその意匠などをめぐってはさまざまな議論があった。とりわけ、大屋根リングをめぐる藤本壮介氏と森山高至氏のまったく噛み合わない論争が印象に残っている。
その森山氏が、「ファスト風土」「ファスト教養」「ファスト視聴」などに続き「ファスト建築」の問題を提起したのが、本書である。
建築のファスト化とは、本来時間をかけて造り、時間をかけて使用するはずの建築が、外観だけは目を引くようにして、あとは早くて手軽に建てるために個性のない建築物ができあがる。壊さなくていい街を壊し、残すべき街がなくなり、短期的な利益の最大化だけをめざす社会の象徴として、ファスト建築が挙げられる。
公共施設の「ファスト化」、商業施設の「ファスト化」、住宅の「ファスト化」、建築人材の「ファスト化」、都市の「ファスト化」、そして国家の「ファスト化」とその象徴としての東京オリンピック2020と大阪関西万博。
次から次へと、現代日本の病理としての「ファスト化」の事例が提起される。
大いに納得しながら読み進める。建築のファスト化は日本人の生活空間そのものをファスト化し、ライフスタイルもファスト化させていく。
本書が出たのは今年の5月。万博については、大屋根リングもパビリオンもその他の建築物も、実際に筆者が指摘したように完成した。しかしそれでも 大屋根リングがなかったら万博会場はただの埋め立て地のイベント会場でしかなかっただろう。
そして何よりも、あのパビリオンもそうだし、金太郎飴のようなショッピングモールや再開発プロジェクトをはじめ、筆者が指摘するような「ファスト建築」に私たちがすっかり飼い慣らされて、それに違和感を感じるような感性を失ってしまったという証左であるようにも思う。「なにかがおかしい」という筆者の問題提起が、もはや通用しなくなってしまっているのではないだろうか。
町家が次々と取り壊されてファスト建築のホテルかマンションに建て替えられたり、極小戸建て住宅に埋め尽くされていく古都に住み、イオンモールで買い物しながら、つくづくそう思う。
(こ)
