歴史の授業で出てきた「任那(みまな)」。中学・高校の授業では、教科書の記載を超えてかなり突っ込んだ解説を受けた記憶があるのだけれど、その割にフワフワして捉えどころのない存在にも感じられた。
そうしたところ、興味深い本が出たので読んでみた。仁藤敦史『加耶/任那』。
「加耶(かや)」は3~6世紀に朝鮮半島南部に存在した小国群である。日本では、『日本書紀』の記載から「任那」と呼ばれることも多い。っていうか僕らの頃の教科書はそうだった。
『日本書紀』には「任那日本府」とも記載されていたことから、長らく倭の拠点と理解されていた「任那」だが、その後は疑義が呈され、歴史教科書の記述は修正が続き、呼称も「加耶」へと変わってきたという。他方、近年になって、朝鮮半島南部で倭独自の前方後円墳の発掘が相次いだ。これらは倭人の痕跡か――。
「加耶」を記載する史料は、韓国史料の『三国史記』『三国遺事』、中国史料の『史記』等、日本史料の『日本書紀』、そしておなじみ「広開土王碑」だが、いずれも断片的な記載でしかない上、その内容についてもそれぞれ慎重な検討を要する。
本書はこのような「加耶/任那」を、従来の日本古代史からの視点だけではなく、朝鮮古代史の中に位置づけようとした意欲作である。限られた史料から当時の実情に迫るのはなかなか難しいが、知的好奇心をくすぐる作業でもある。
当時は思いのほかボーダーレスな時代であった。日本から朝鮮半島へ、また朝鮮半島から日本へ。様々な人たちが、海を超えていた。
(ひ)