職業柄、こういうタイトルの本を見ると、とりあえず手元に置いておくことが多いもので、図書館に来る外商さん経由で注文。
音楽と近代化の関係についての研究はほんとうにたくさんあり、近代学校において音楽が果たした機能についても多くの先行研究が存在する。そういうのを紹介したような本として、新潮「新書」で出したのかな、と思って待っていたら、新潮「選書」が届いてびっくりした。このタイトル、どうした新潮選書・・・?
著者は音楽の社会史が専門の東京大学名誉教授。中身もお小遣い稼ぎのようなものではなく、ガチであった。
本書はまず、校歌の研究がほとんど存在しないというところから始まる。理由はいろいろとあるが、全国一律のシステムではなく郷土史研究のようなものであり、しかもそれは膨大な数にのぼるので、個人の手には負えないことがある。そうした中で、校歌をコミュニティソング(共同体歌)として位置づけ、
校歌を芸術作品として理解したとき、そもそも校歌のはじまりは「替え歌」だったり有名な楽曲に歌詞を加えたものだったり、そこから始まっている。しかも、歌うTPOによって曲が変わるのだ。たとえば応援団の歌う校歌と、合唱部の歌う校歌は、同じ校歌でありながら違う。
(たしかに勤務校の校歌も、生徒が儀式で歌うときには起立して斉唱するけれど、HPで公開されている音源には伴奏も音の刻みや伸ばすところの拍なんかも微妙に違う。同窓会では肩を組んで揺れながら歌うらしい。)
そのように校歌をコミュニティソングの一種として位置づけた上で、「作り手」からではなく「歌い手」の視点から校歌について解きほぐしていく。校歌の成立の多様性や時代性、戦後の新しい学校制度の始まりにおいて校歌がたどった奇異な運命、学校の合併における校歌をめぐる騒動、学生野球の応援と吹奏楽部と校歌の関係の移り変わり、そして1つの高校(埼玉県立春日部高校)をケースとした校歌の歌い方の変遷、こうしたさまざまな角度からの検証を加えながら、日本の学校制度と学校文化における「校歌」の果たす役割について掘り下げ、検証していく。
個人的には、第4章「生き延びる校歌」の章が非常におもしろかった。公害問題が深刻化する中で校歌の歌詞を変えるべきかどうか喧々諤々の議論が行われたり、時代によって「校歌らしくない」校歌がつくられていく歴史があったり、合併によって旧校歌が消えるのではなく新校歌の中に流れ込んでより豊潤になっていったり・・・そんなことを生徒も大人も真剣に考えたエピソードに事欠かないくらい、みんな校歌が好きなんですね。
(こ)