峰岸純夫『享徳の乱』(講談社選書メチエ)

ゆうきまさみ『新九郎、奔る!』の最新刊では「享徳の乱」が佳境を迎えつつある。

享徳3年(1454年)12月、鎌倉公方古河公方)の足利成氏(しげうじ)が関東管領上杉憲忠を誅殺。以後、30年近くにわたって続いた関東の内乱である。

この「享徳の乱」を描いたコミック、というか小説・映画も含めた作品は極めて珍しい。興味を持ったので、より深く知ろうと読んでみた。峰岸純夫『享徳の乱』(講談社選書メチエ)。

本書の「はじめに」のサブタイトルは「教科書に載ってはいるけれど……」というものであり、これが現在の「享徳の乱」の認知度をよく現わしている。戦国時代の始まりとしては、「応仁の乱」の方がはるかに有名であろう。しかし筆者は、「享徳の乱」は、単に関東における古河公方と上杉方の対立ではなく、その本質は室町幕府足利義政政権)が古河公方打倒に乗り出した「東西戦争」であり、この乱こそが、戦国時代の開幕として位置づけられるべきではないか、とする。

文明8年(1476年)には上杉家有力家臣の長尾景春鉢形城にて挙兵し、反乱。翌年には幕府方の拠点・五十子(いかっこ)を陥落させる。享徳の乱、第2ステージへの突入である。長尾景春は扇谷上杉の家宰・太田道灌に決起を促すが、太田道灌はこれを拒否。こうして上杉・幕府方の内部でも紛争が激化し、関東の混乱は広がる。

やがて、足利成氏と上杉氏の和睦が成り、次いで足利成氏と幕府との和睦が成って、享徳の乱がようやく終わる。

本書では、乱のその後についても言及する。「享徳の乱」の後、関東は越後長尾(上杉)・武田・北条という関東の外に成長した戦国大名による「三つ巴の争覇の草刈場」となる。関東の中からは、ついに戦国大名は現れなかった。

ところで、本書の「あとがき」に書かれた日付は「2017年9月20日」。筆者は1932年生まれなので、なんと御年85歳での執筆である。お元気!

峰岸純夫『享徳の乱』(講談社選書メチエ


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