「すずめの戸締まり」とツルゲーネフ『はつ恋』

(※ネタばれにならないよう配慮していますが、気にされる方は読み飛ばしてください。)

新海誠監督の作品には、本を読むヒロインがしばしば登場する。「雲のむこう、約束の場所」の佐由理は森下さなえ『夢網』(元ネタは大下さなえ『夢網』)を読み、「秒速5センチメートル」の明里は夏目漱石『こころ』を読んでいた。「言の葉の庭」では、ユキノが井上靖額田女王』と夏目漱石『行人』を読むシーンが印象的である。

最新作「すずめの戸締まり」では、ヒロイン・鈴芽の蔵書として、ツルゲーネフ『はつ恋』が出てくる。ひらがな混じりの表記なので、神西清訳の新潮文庫版がモチーフだろうか。

光文社古典新訳文庫版なら持っているので、久々に再読することに。トゥルゲーネフ『初恋』(沼野恭子訳・光文社古典新訳文庫)。

16歳の少年・ウラジミール。近隣に引っ越してきた年上の公爵令嬢・ジナイーダに初恋をするが――。

大人になったウラジミールの回想という形でつづられるこの作品は、ツルゲーネフ自身の自伝的性格を持つといわれている。主題はそのタイトルどおり「初恋」。少年の目線で語られながらも、女性人気も高いようで、訳者の沼野恭子さんは「私にとって忘れられない大切な作品です。」と述べている。

さて、新海誠監督は、「すずめの戸締まり」の序盤で、ツルゲーネフ『はつ恋』を映し出した。鈴芽が本を読む少女であり、恋愛というものにほのかな憧れを抱いているという印象を与える。『赤毛のアン』や『若草物語』でもよいのだろうけれど、あえて『はつ恋』を持ってきたところに、新海監督らしさを感じる。

『はつ恋』ではヒロインのジナイーダの方からウラジミールの顔にキスをするが、鈴芽が椅子にキスするとき、このシーンが頭をよぎったのかどうか。また、『はつ恋』には、男を「台座」とし、その上にジナイーダが乗って「銅像」になるという「罰ゲーム」の場面があるが、鈴芽は「草太さん、踏んでもいい?」と聞く際にこの場面を想起したか(さすがにないか・・)――など、想像は膨らむ。

作品自体にも符合する点がみられる。

  • 『はつ恋』には廃墟となった温室が出てくるが、「すずめの戸締まり」で最初の「扉」が置かれている中庭は、見方によっては廃墟の温室に見えなくもない。
  • 『はつ恋』の終盤、登場人物が次々とあっけなく亡くなるが、これは「すずめの戸締まり」の「生きるか死ぬかなんてただの運なんだって――」とのセリフにもつながる。
  • そして、『はつ恋』には「自分を犠牲にすること」というセリフが2回も出てくる。これはまさに、「すずめの戸締まり」を貫く一つのテーマではなかろうか。

・・・とまあ、自由気ままな考察は尽きない。いずれにせよ、本を読むヒロインの久々の登場である。

トゥルゲーネフ『初恋』(沼野恭子訳・光文社古典新訳文庫


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