五味文彦=本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡(7)頼家と実朝』『同(8)承久の乱』(吉川弘文館)

ずっと読み進めている『現代語訳 吾妻鏡』。第7巻「頼家と実朝」は、建仁元年(1201年)から建保元年(1213年)までを収録。いよいよ北条義時が権力を掌握していく。

相変わらず源頼家は無能な将軍として描かれ続け、結局、何ら見せ場のないまま修善寺に追われて、やがて没する。敵対する有力御家人は次々と討たれる。北条時政もまた、伊豆に隠居。和田合戦に勝利した北条義時が侍所と政所の別当職を兼ねるところまで描かれる。

繰り返しになるが、『吾妻鏡』はあくまでも北条得宗家から見た歴史であり、その権力の正当性については細心の注意を払った説明がされることになる。どこまでが史実で、どこからが脚色か。いずれにせよ、血みどろの権力闘争であったことだけは確かなようである。

建暦元年(1211年)10月13日には鴨長明が鎌倉を訪問。こういうビッグゲストの登場は、ちょっとなごむ。

続いて第8巻「承久の乱」は、建保2年(1214年)から承久3年(1221年)。まずは源実朝。頼家ほど無能ではないものの、あまり良い見せ場もなく、むしろ唐船建造の失敗などのネガティブなエピソードが紹介されたりした後、建保7年(1219年)、鶴岡八幡宮にて公暁に討たれる。その公暁ものちに殺害され、将軍家は断絶。

そこから先はいよいよ承久の乱に突入。後鳥羽上皇による北条義時追討の院宣と、これに対する北条政子の演説、そして東海道東山道北陸道の三方から京に向けた派兵。戦いは、幕府方の大勝利で終わりを迎える。

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さて、少しずつ読み進めてきた『吾妻鏡』も、ついに承久の乱まで読み終えた。
北条得宗家の歴史はこの後もまだまだ続くが、ひとまずはここまでとしたい。

五味文彦本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡(7)頼家と実朝』『同(8)承久の乱



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