金水 敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)

「そうじゃ,わしが知っておる。」というセリフなら,老博士。
「そうですわよ,わたくしが存じておりますわ。」というセリフなら,お嬢様。
「そうあるよ,わたしが知ってるあるよ。」というセリフなら,(ニセ)中国人。

本書は,そのような「特定のキャラクターと結びついた,特徴ある言葉づかい」のことを「役割語」と呼び,その謎に迫るものである。

役割語というのは不思議である。実際には,「そうじゃ・・」と話す老博士に会ったことはないし,「そうですわよ・・」と話すお嬢様など見たこともない。「そうあるよ・・」と話す中国人に至っては論外である。いわば「ヴァーチャル日本語」ともいえる役割語が,いつ,どうして発生したのか,そもそも何のために存在するのかなどにつき,筆者は丁寧に解き明かしていく。

例えば,「そうじゃ」「わしは」「・・おる」などの言葉づかい。筆者はこれを仮に〈博士語〉と呼んだ上,実際の用例として,まず『鉄腕アトム』のお茶の水博士,『名探偵コナン』の阿笠博士,『ポケットモンスター』のオーキド博士などを引用しながら,その特徴を分析。そして,実世界ではこのような〈博士語〉は使われないことを確認しつつ,その起源をさかのぼり,ついには江戸時代の文献の中にその萌芽を見出すとともに,江戸の言語(江戸語)の形成過程についても紹介する。

他にも,様々な種類の役割語につき,筆者はそのルーツを探り,それがなぜ定着していったのかを推察していく。「~てよ」「~だわ」などというお嬢様言葉も,このような表現が現れ始めた明治20年頃は「品格のない,耳障りで乱暴な表現」として排斥されていたという指摘はなかなか興味深い。

筆者は日本語学を研究する大阪大学教授(執筆当時)。専門家の書いた本にもかかわらず,文章は平易で分かりやすく,おかげで楽しく読むことができた。こういう研究生活,ちょっとあこがれる。

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金水 敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』

 


(ひ)