藤沢周『世阿弥最後の花』(河出書房新社)

 世阿弥元清、72歳にして将軍義教の勘気に触れて、佐渡に流される。悲嘆に暮れる周囲を余所に、世阿弥は従容として佐渡への道行きを受け入れる。

 佐渡では順徳院に思いを馳せ、猟師の子どもに才を見いだして小鼓を教え、見張りの武士の亡き妻が夫のためにつくった衣装を身にまとって雨乞いの舞を奉じる。季節の移ろいと美しくも厳しい佐渡の自然の中で、世阿弥と夭逝した子・元雅のふたりのモノローグによって、ゆっくりと話が進んでいく。
 自らがかつて「風姿花伝」に著したことをひとつひとつ確認しながら、若さゆえの至らなさだったと反省したり、目の前で起きている出来事にあれはこういうことだったのだと納得したりしながら、ひとりの流人として心静かに佐渡での暮らしを過ごす。
 そして世阿弥佐渡を後にするにあたり、まことの「花」を咲かせるのであった。

 能や謡曲に覚えがあり、和歌の世界に造詣が深い読者にとっては、何倍も楽しめる内容だったのだろう。残念ながら、途中で「蜜蜂と遠雷」状態になったことは否めない。それでも読み終えた後、ずん、と心に残るものがある。最初はとっつきにくさを感じて途中でやめようかと思ったが、しばらく読み進めるうちにだんだんと引き込まれていった。
 世阿弥が舞う姿は3回描写される。面をつけた世阿弥が憑依しながら美しく狂っていくようすは、いずれも読むだけで息が詰まる。

 美しい作品だった。こういうふうに年を重ね、枯れていきたい。

 (こ)