藤岡陽子『きのうのオレンジ』(新潮社)

913.6

食欲と性欲と睡眠欲とは人間の三大欲求だというが、とにかく、睡眠欲を満たすので精一杯の生活を続けていると、小説を読むという行為にまでなかなかエネルギーを回すことができない。部活の近畿大会のために奈良の五條に向かう電車に揺られながら、いつ以来だったか思い出せないくらい久しぶりに、NDC9類を読む。

レストランの店長として東京で毎日忙しく働く遼賀は、高校の同級生である看護師・泉と偶然再会する。遼賀にスキルス胃がんが見つかり、すでに転移が進んでいた。遼賀は故郷の岡山に戻り、同い年の弟・恭平たちとともに、残された時間を過ごす。

遼賀の死というゴールが設定され、そこに向かって一本道にストーリーが進んでいく。劇的な何かがあるわけではない。淡々と、しかし遼賀に関わるすべての人たちの善意によってオレンジ色に彩られた明るさと暖かさの中で、遼賀は天に召されてゆく。

著者は現役の看護師さんである。命の砂時計が落ちていくのを見守るにあたり、ガン患者を取り巻く人間の心理描写に強引さを感じないのは、抑制された文体のせいもあろうが、そのためもあろう。

 

来年も、よい本との出会いがありますように。

きのうのオレンジ

きのうのオレンジ

  • 作者:藤岡 陽子
  • 発売日: 2020/10/26
  • メディア: 単行本
 

 (こ)