伊東玉美編『宇治拾遺物語』(角川ソフィア文庫)

町田康の現代語訳で宇治拾遺物語に興味を持った。というわけで,「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズから,伊東玉美編『宇治拾遺物語』。

やっぱり,面白い。教訓めいた話もないではないが,多くは単なる笑い話だったり,ちょっと不思議な話だったり。こんな説話集が大昔に存在していたこと自体,奇跡に近い。

さて,町田康の現代語訳だが,原文と比較してみると,これがまた,絶妙である。

例えば,先週紹介した第1話での道命の説明は,原文だと「経を目出たく読みけり。」だけ。和泉式部に至っては説明がない,というか,「和泉式部が」としか書かれていない。ただ,第1話の面白みを理解するためには,お経をうまく読むということがどういうことか説明が必要だし,また,和泉式部が(実際はともかく)鎌倉時代には「色気のある女」「そそる女」と広く理解されていたことを知らないと,その後の話につながらない。町田康,絶妙である。

そもそも,町田康の現代語訳は,自由気ままに訳しているようでいて,原文があるところは結構忠実に訳している。

例えば,昔話「こぶ取りじいさん」の元となった「奇怪な鬼に瘤を除去される」(第3話)の,鬼たちの前で舞った後のおじいさんと鬼の会話。町田訳だと,鬼が,

『長いこと踊り見てきたけど,こんな,いい踊り初めてだよ。次にやるときも絶対,来てよね。』

と言い,おじいさんは,

『はい。絶対,また呼んでください。みんなが喜んでくれたのはすごく嬉しいんですけど,自分的にはまだ納得できてない演技がいくつかあって,今回,急だったんでアレですけど,気に入ってもらって,また,呼んでもらえるんだったら,次こそ完璧な演技をしたいんで。』

と返す。いったいどこの時代の誰だよ~,なんて笑いながら読んでいたのだけれど,原文は,鬼が,

『多くの年ごろ,この遊びをしつれども,いまだかかる者にこそ会はざりつれ。今よりこの翁,かやうの御遊びに必ず参れ。』

と言い,おじいさんは,

『沙汰に及び候はず。参り候ふべし。このたびはにはかにて,をさめの手も忘れ候ひにたり。かやうに御覧にかなひ候はば,しづかにつかうまつり候はん。』

と返しているのである。敬語も含めて,意外にも原文に忠実な訳である。

他にも,鬼にこぶを取ってもらったおじいさんと,おばあさんの会話。町田訳は,こう。

「お爺さんの顔を見て驚愕した妻は,いったいなにがあったのです?と問い糺した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて,『驚くべきことですね』とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて。」

いやそんなおばあさんの気持ち,原文には絶対ないだろ~(笑)。そう思って読んでいた。原文は,こう。

「妻のうば,こはいかなりつる事ぞと問へば,しかじかと語る。『あさましき事かな』と云ふ。」

予想どおり,ない。ないのだけれど,おじいさんのこぶが取れたのである。普通だったら,「良かったですね」「楽になりましたね」「お祝いでもしましょうか」くらいは言うだろう。それが,『あさましき事かな』だけである。その背後には,きっと・・・。

いや,これはやっぱり,想像しすぎか(笑)。


(ひ)