半藤一利・保阪正康『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社)

『ふみいいい、ふみいいい』

 大先生が意外にも残していたので、それでは私めが、と思っていたら、かぶってしまいました。

 

そこで、ちょっと前の本だけれど、今読み返したくなって取り出してきたのがこの本。
政府が、アベノミクスでもコロナとの「戦争」でも、出口戦略を示せずに右往左往しているように見えるのは、まさに安倍政権が「官軍」だからなのではないか、という次第。

 

少し長いが引用する。

「たとえば、安倍首相は本年二月の施政方針演説で、吉田松陰がしきりに唱えた「知行合一」(知と行は二つにして一つ)という陽明学の言葉を引用して述べた。
 「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です。」
 与党が多数の国会はさかんなる拍手大喝采で歓迎した。
 この様をテレビで眺めながら、わたくしは思わず自分の頭をぶっ叩いてみたのである。おいおい、この科白はその昔に何度か聞かされたのではなかったか、と。「もはや批判している秋(とき)にはあらず、行動せよ、強い者が勝つのだ」「勝った者が正しい。それは歴史が証明している」・・・。しかし、それらの言葉は、維新という名で呼ばれる“革命”を正当化するために、「行動を起こしたことは正しかった」とくり返しくり返し国民の頭に刷りこんできた明治いらいの権力者たちの壮語と、同じなんではあるまいか、と。
 (中略)日本の近代化とは、黒船来航で一挙にこの高揚された民族主義が顕在化し、そして松蔭の門下生とその思想の流れを汲むものたちによってつくられた国家が、松蔭の教えを忠実に実現せんとアジア諸国へ怒涛の進撃をし、それが仇となってかえって国をほろぼしてしまった、そう考えている。つまりそれが“官軍・賊軍史観”というわたくしの仮説なのである。」(プロローグ)

 

要するに、「官軍(=薩長、というか長州)」は無責任にイケイケドンドンすることは得意でも、ブレーキの掛け方を知らない(そりゃそうだ、松陰先生の教えがそうなんだから)。そしてそのしりぬぐいをして、官軍の始めた戦争を終わらせたのは、薩長に冷遇され、エリートコースから一度ははじき出された賊軍出身者たちであった。

鈴木貫太郎(関宿)、石原莞爾(庄内)、米内光政(盛岡)、山本五十六(長岡)、井上成美(仙台)、今村均(仙台)・・・。名前が挙がるのは、こうした人たちである。

 

この本を読んだのが4年半ほど前。そのときに書いたメモにはこうある。

「この国がいちど「官軍によって滅ぼされ、賊軍によって救われた」のだとすれば、これを直視しないで「あのイケイケドンドンはよかった」と言えるおめでたい発想が、長州人としての誇りを隠さない(といいつつ東京生まれの東京育ち)今の首相の頭の中身なんだろうかと思うと、ほとほとため息が出る。」

「とすると、官軍賊軍史観が正しければ、アベノミクスと安倍政治はこのまま加速して、(抜いた刀の収め方を知り、破滅の一歩手前で国を救った)賊軍の思想が出て来なければ、この国は暴走し破たんへと突き進むことになる。
 その賊軍は、自民党の中にいるのか、公明党の中にいるのか、野党の中にいるのか、はたまた・・・?」

 

そのときの憂慮が、いよいよ確信に変わりつつある、昨今。

 

ちなみに、幕末の長州の連中は、勝手に盛り上がってたしなめられて逆恨みして、禁門の変を起こして京の街に火を放ち、うちの町内のお山をはじめ、菊水鉾さんに大船鉾さんに四条傘鉾さんに鷹山さんに、あれやこれやを燃やしてくれた、不埒な輩だと思っていて、ああ、また腹が立ってきた。

賊軍の昭和史

賊軍の昭和史

 

 (こ)