湯浅邦弘『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 呻吟語』(角川ソフィア文庫)

 卒業生への言葉に、何か漢籍からかっこいいことでも書こうかと色気を出して、ネットでいろいろ検索していたら、こんなのを見つけた。

 

 人の一生の大なる罪過は 只「自ら是とし自ら私す」の四字に在り
 (人一生大罪過 只在自是自私四字)

 

 出典は『管子』となっていたのだけれど、管子のどこを探してもこの一文が出てこない。あらためて調べてみると、明代末期の呂坤(呂新吾)による『呻吟語』の一節なのだという。『菜根譚』と並ぶ処世訓の傑作で、大塩平八郎に大きな影響を与えたそうだが、邦訳された『菜根譚』と違ってこちらは和訳が出回らなかったので、あまり人口に膾炙しなかったのだとか。朱子学陽明学とを批判的に統合し、世の腐敗や堕落を嘆き、深い人間洞察に基づく言葉を次々とリズムよく吐き出している。2000条にもおよぶ大著なのだそうだ。その抄訳が本書である。

 

 過ち有るは是れ一の過ちなり。過ちを認むるを肯ぜざるは、又た是れ一の過ちなり。一たび認むれば則ち両過都て無し。(修身)

 難きを先にし獲るを後にす。此れは是れ徳を立て功を立つる第一箇の張主なり。(談道)

 書を読む人、最も誦する底は是れ古人の語、做す底は是れ自家の人なるを怕る。(問学)

 一切の人、悪を為すは、猶ほ言ふべきなり。惟だ書を読む人は、悪を為すべからず。書を読む人、悪を為せば、更に教化の人為し。
 一切の人、法を犯すは、猶ほ言ふべきなり。官と做る人は、法を犯すべからず。官と做る人、法を犯せば、更に禁治の人無し。(品藻)

 邪官を以て邪官を挙げ、俗士を以て俗士を取らば、国、治まらんことを欲すとも得んや。(治道)

 

 古来から漢籍はこの国の統治エリートの素養として脈々と受け継がれ、その流れは明治維新を経て近代化を遂げても途切れることはなかったのだが・・・。

 

 ところで、局地的なのかもしれないけれど、最近、周囲でじわじわと『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の輪が広がっているのだけれど、何かで紹介されたのでしょうか?
 あれは間違いなくいい本です。

 (こ)