本田由紀編『文系大学教育は仕事の役に立つのか』(ナカニシヤ出版)

 今年8月、NHK Eテレの「バリバラ」に「障害者×戦争」という回があった。戦時下で「穀潰し」「役立たず」と言葉を投げつけられ続け、中には身内から命を奪われかけた人の証言もあった(きっと実際に手をかけられ命を落とした人はたくさんいたのだろう)。ナチスのように政策として実行されなかったにしても、優生思想のもとで「役に立たない」人間は生きている価値がないという考えが広く浸透していたということだろう。今では「戦争に役立つ」ではなく「経済成長に役立つ」と形を変えて、人を選別する基準となっているというコメントが番組の中で出されていた。
 それ以来、「役に立つ」って何だろうという考えが、しばしば頭をかすめるようになった。「誰にとって役に立つのか」「役に立たないと決めるのは誰か」「役に立たないと決めつけた人自身はほんとうに役に立っているのか?」などというぼやきのようなことを、ときどき授業でも口走るもので、とうとうある日のクラスの日誌が「今日は体育の時間に役に立ってうれしかった」だとかいう「役に立ったネタ」で埋められてしまった。

 さて、 2015年に文科省が大学の学部再編を通知して以来、「文系学部廃止」に関する書籍がちらほらと出てくるようになった。その一連の流れの中で出された本書は、8人の教育社会学者がそれぞれの視点から「文系大学教育は役に立つのか」という共通テーマのもとに書いた論文集である。きちんと学術論文の体裁をとっていて、新書だとか教養書とは一線を画している。

 もちろん著者たちは、政府主導で役に立つ研究と立たない研究を選別するような態度や、外部人材を登用しないと大学を生き残らせないという大学政策に対して、猛烈に反発しているのだけれど、それでもやはり、データにもとづいて議論し解決策を社会に向けて提示していかなければならないという思いで、本書をまとめている。

 入学前後の能力の違いの計量分析や、大学生の「役に立っている」という意識の調査、さらには「役に立たないと思われるのはなぜか」という研究まで、分析はそれぞれにおもしろい。

 ただしこの「役に立つ」うんぬんについては、たとえば大学側が受験生に向かってしきりに「役に立つ」ことを強調して募集をかけたり、教育社会学でも「教育のレリバンス」の問題として「役に立つ」問題を仕掛けてきたような過去がある。その話がブーメランとなって、大学や教育学の世界に襲いかかってきたようにも見える。

 ともあれ、生きていく資格がないと口走るならば、「役に立たなければ」「生産性がなければ」ではなくて、「優しくなければ生きていく資格がない」と言ったフィリップ・マーロウの方が、ずっとかっこいい。

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

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プレイバック (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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 (こ)