恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)

 人は、同じものを見聞きしても、自分の理解したいようにしか理解できないものらしい。

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 平凡なサラリーマンの家庭に育ち、プロ音楽家の道をあきらめ、楽器店に勤めながら愛する妻子と暮らすフツーのお父さん、高島明石。これが最後と、芳ヶ江国際ピアノコンクールに応募する。明石の中のもう一人の自分がつぶやく。

「俺はいつも不思議に思っていた――孤高の音楽家だけが正しいのか? 音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか? と。
 生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。」(p.53)

そして考える。

「図抜けた天才少年ではなかったものの、それなりに将来を嘱望され、音大まで進んだ明石は、この業界とその周辺の一部の人々の持つ、歪んだ選民思想に違和感を抱き続けてきた。
 音楽を生活の中で楽しめる、まっとうな耳を持っている人は、祖母のように、普通のところにいるのだ。演奏者もまた、普通のところにいてよいのではないだろうか。」(p.56)

 

 現代社会では、教育という営みが学校によって独占され、あたかも学校に通って教師に教わることだけが教育であるようになってしまっている。教育だけに限らない。警察だけが治安を、医師だけが医療を、宗教者だけが宗教を、というように、産業社会においては専門家が価値を独占する。このように価値が制度化された社会(学校化社会)から自由になるために、イヴァン・イリッチは「脱学校」を説く。

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  マサル、亜夜、塵、明石という4人のコンテスタントを軸に、国際ピアノコンクールに関わる個性豊かな人物たちがさまざまに交錯する、熱くて長い3週間を、まるで密着ドキュメンタリー番組を見ているように、臨場感たっぷりに物語は進行する。500ページ(上下2段組)というたっぷりの文章で音楽を「聴かせて」しまう筆力には脱帽。
 2016年の直木賞と2017年の本屋大賞をダブル受賞し、この1年を代表する1冊であることには間違いない。

 

・・・なんだけどね。

 

 クラシックやピアノのことにまったく造詣のない門外漢が読むと、高校時代に世界史の教科書をいやいや眺めて字面を追いかけていたように、固有名詞がまったく頭に入っていかないのです。最初の方なんて、音楽じゃなくてイリッチが飛び込んできて困りました。
 音楽に詳しい方にとっては、きっと楽しい、はず。

 

 すでに書評は山のようにあるので、そちらを参照されたし。

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

*ちなみに、こんなものもあるのね。

蜜蜂と遠雷』ピアノ全集 

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)

 

(こ)