三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)

発売前からちょっと気になっていた本。早速読んでみた。三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。

いや、そりゃ、働いていると本を読む時間なんてなくなるでしょ――では終わらない。本書は近代日本の読書史と労働史からその「謎」に迫っていく。

序章で引用されるのは、映画「花束みたいな恋をした」。社会人となった主人公が徐々に本や漫画を読めなくなり、虚無の表情でパズドラをする。長時間労働に追われる中で、「パズドラ」はできても「読書」はできない。その理由を分析するため、本書はその時々のベストセラーを紹介しながら、近現代日本の読書と労働の歴史を俯瞰していく。

時々差し挟まれる著者の分析が興味を引く。「読書は常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい。」(160頁)との指摘は新鮮で、辛辣でもある。

転換点は1990年代。著者はここで、「読書とはノイズである。」と断言する(176頁)。本を読むことは、働くことの「ノイズ」となる。それこそが1990年代以降の労働と読書の関係ではなかろうか、と著者は投げかける(182頁)。

最終章は、今後のあるべき社会、すなわち「働きながら本を読める社会」について。「全身全霊」をやめませんか? 燃え尽き症候群は、かっこいいですか?――そう著者は問いかける。

本書のオビには「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」とある。思い当たる節がないではない、というかかなりある。疲れてしまうと本とか読めないもんね。無理をしない。健康第一。

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書


(ひ)

早見和真『アルプス席の母』(小学館)

高校野球がテーマの小説というと、球児が中心と相場が決まっている。この小説でも、神奈川県のチームで全国制覇を成し遂げた中学生・航太郎が主役・・・ではあるのだが、もうひとりの主人公はその母・菜々子である。夫を事故で亡くし、息子は大阪の山藤学園をめざしている。しかし、家計がそれを許さない。そんなとき、大阪の新興校・希望学園の佐伯監督から、特待生での入学のオファーが届く。航太郎は入学を即決する。菜々子は航太郎を支えるべく、南河内に居を移す。親子ともども、理不尽は覚悟していたものの、想像をはるかに超える理不尽また理不尽。航太郎はケガで1年を棒に振り、ベンチからも外れてしまった。

後半は、筆致ががらりと変わり、高3の春、そしていよいよ最後の夏の大会を迎える。希望学園は甲子園に向けて、選手も監督も「負けたら終わり」の一戦を戦い抜いてゆく。ラストはとても心地よい。

もっとも、ドラマ化はどうだろう。高校野球の裏側にあるドロドロもそれなりに描かれている。保護者会の闇も、寄付という名の監督への心付け(=裏金)もしっかり登場する。産経新聞での連載だったというが、このあたりNHKや朝日新聞毎日新聞は扱うことはできるのかな・・・?

ともあれ、父と言えば門井慶喜、母と言えば早見和真、というふうに、これからはなるのだろうか。次回作にも期待したい。

(こ)

『和泉式部日記』(近藤みゆき訳注・角川ソフィア文庫)

宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』が本屋大賞! おめでとうございます!
膳所から世界へ!

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さて、再び平安の沼へ。今回は「和泉式部日記」を読むことにした。
まずはお約束の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズから川村裕子編『和泉式部日記』で頭づくり。毎度毎度、本当にお世話になっています。

川村裕子編『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫

そしていよいよ近藤みゆき訳注『和泉式部日記』へ。

和泉式部日記は、女(和泉式部)と宮(敦道親王)との10か月にわたる恋愛模様を描いた日記文学である。

この恋愛がまた、簡単には進まない。すれ違いが生じたり、宮の心に女への疑いが湧き出たり、悪い噂が立ったりするなど、障害の連続である。途中で和泉式部石山寺に籠もったりもする。

中盤のクライマックスは、和泉式部の書いた長めの「手習い文」と、これに対する宮の返事。美しい、に尽きる。

そしてついに、宮は和泉式部を宮邸に迎え入れる・・・のだが宮邸には北の方がいる(何やってんだ)。そこで起こる騒動。最後は北の方が宮邸を去って、この日記は終わる。

さて、この「和泉式部日記」。日記文学ではあるのだけれど、和泉式部は直接知らないはずの、宮邸での宮と北の方の会話なんかも出てきたりする。そのため「日記(自作)」ではなく「物語(他作)」ではないかという見解も一部にはあるらしく、なかなか面白い。

和泉式部は後に中宮彰子に出仕し、紫式部の同僚となる。「紫式部日記」にも紫式部から見た和泉式部の評が出ている。大河ドラマ「光る君へ」でもきっと後半から登場するのだろう。誰が演じるのか、そしてどのような描かれ方をするのか、今から興味深い。

和泉式部日記』(近藤みゆき訳注・角川ソフィア文庫



(ひ)

戸谷洋志『親ガチャの哲学』(新潮新書)

万城目さんに続いて宮島さん、百万遍文壇?絶好調ですね。
そして中日弱いと言って、ごめんなさい。

 

前年度の余韻に浸る間もなく、クラス開き、授業始まりと、新年度が始まってしまいました。空き時間に読んだのが本書。「親ガチャ」についてルポだったり社会学的な格差論の視点から書かれたものは読んだことがあったが、哲学的に正面から斬り込んだのは初めてだった。

大きなストーリーは「親ガチャ」に対する「自己責任論」について、自分の人生にどこまで責任を負うことができるのか、ということである。ここから派生して、「社会的信用がなくても生きていけるような保障か、社会的信用を得られるような包摂か、どちらの路線を取るか」という問いや、ONE PIECEのエースや進撃の巨人ジークのような「生まれてこなればよかった」という絶望にどう向き合うか、ポケモンミュウツーからナチスの優生思想へ、「保育園落ちた日本死ね!!!」に見る中間共同体の欠如、そしてハイデガーからアーレントハーバーマスロールズと展開して本書は閉じられる。

論点はわかりやすく、頭の整理にはちょうどよかった。
そしてたぶん、今年か来年くらい、模試や入試で使われそうな内容と文章・・・いかん。そういう頭になっている。

(こ)

夏川草介『スピノザの診察室』(水鈴社)/小川哲『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)

朝ドラ「虎に翼」がとてつもなく面白い。

憲法14条の条文の朗読から始まったこのドラマ。戦前戦後の男女同権という重いテーマを扱いながらも、笑いあり・涙ありのとんでもないエンタメ作品に仕上がっている。特に昨日放送分のラストは感動した。NHKのドラマってこんなにすごかったんだ(ごめんなさい)。

各種配信サービスでも配信されているようなので、今からでも間に合います。第1週放送分だけでも、一見の価値ありです。

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さて、いよいよ本屋大賞の発表が迫ってきたので、今週はノミネート作品のうち2本をご紹介。

まずは、夏川草介スピノザの診察室』。京都を舞台にした、医師の物語である。

雄町哲郎(おまち・てつろう)。かつては名門・洛都大学で難手術を次々とこなしていた彼は、今は訳あって町中の地域病院で勤務していて――。

全4話からなる連作短編集だが、全体で一つの大きな話を構成してもいる。

大学病院における最先端の医療。一方で、死と向き合う町医者としての生き方。オランダの哲学者・スピノザの名を冠した本作品は、読者を哲学的思索にもいざなう。

大学病院モノにありがちなドロドロの権力闘争を描くわけではなく、奇跡の救出劇を描くわけでもない。ただそこには、患者と向き合う医師の姿がしっかりと描写されている。

京都が舞台というのがまた、物語に奥行きをもたらす。古都ならではの甘味も度々出てくる。・・・阿舎利餅、食べたい。

出版社は水鈴社。小さな出版社なのだけれど、これで当ブログで取り上げた本は3冊目となった。どの本も珠玉の作品。

夏川草介スピノザの診察室』(水鈴社)


もう一冊は、小川哲『君が手にするはずだった黄金について』。

こちらは全6編からなる連作短編集・・・なのだが、主人公は「僕」こと小川哲。どれもこれも、「僕」の日常と思索を描いた作品である。

就職活動のエントリーシート(第1話「プロローグ」)。あの日、何をしていたのか思い出せない・・・(第2話「三月十日」)。高校の同級生からの頼まれ事(第3話「小説家の鏡」)・・・。どこかまでが事実で、どこからが虚構なのか。エッセイとも私小説とも異なる心地よい混乱の中で、ストーリーは進む。

第4話「君が手にするはずだった黄金について」と第5話「偽物」は、どちらも一癖も二癖もある知人の話。そして最終話「受賞エッセイ」は・・・え、これエッセイじゃないの?それともやっぱりエッセイなの?

困ったことに、どの話も面白い。平日の夜に読み始めたのだが、早速後悔した。どれもこれも続きが気になって、中断できない。休日の昼か、そうでなければ金曜日の夜に読むべきであった。

小川哲『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)



(ひ)

明智憲三郎『本能寺の変431年目の真実』(文芸社文庫)

 春休み、家族旅行に出かけました。泊まったホテルには2000冊のミニ図書室があるというので覗いてみた。そこにあったのは、文芸社草思社「だけ」が並べられた本棚でありました・・・。
 ほとんどが自費出版のような本ばかりが、壁一面にずらりと並ぶ中から何冊か手にしてみたものの、やはり素人に毛が生えたようなものばかり・・・。
 その中に、一時期話題になった本を見かけたので、せっかくなので読んでみることにした。

 

 著者は明智家の末裔だという。曰く、本能寺の変の「定説」にはおかしな点が多く、その原因は、学界の大御所が根拠とした史料に創作が加えられているにもかかわらず、歴史界はそのことを批判的に取り上げてこなかったからなのだそうだ。そこで正しく史料を読み解き、なぞ解きを進めていけば、そこからは勝者によって闇に葬られた不都合な真実が浮かび上がるという・・・。
 そこはひとまず気にせず、フィクションだと思って読み進める。
 要するに、家康黒幕説である。

 まぁ、陰謀論とは言わないまでも、そういう解釈もできるんやろなぁ・・・。
 本能寺の変については、大河ドラマでも、「麒麟が来る」と「どうする家康」ではまったく違う解釈が行われ、相変わらず真相は藪の中。

 

 そしてこの本棚には、同じような「ほんとうの歴史」を語るみなさんの熱い思いがずらりと並べられていた。邪馬台国とか太平洋戦争とかあんなことこんなこと。

 あと、ドラゴンズの立浪監督が引退したときに書いた本もあった。立浪氏に指導者の声がずっとかからなかった理由も、立浪ドラゴンズが弱い理由も、よくわかった(今のところ強いけど)。

 

 

 

(こ)

浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(全12巻・ビッグコミックススペシャル)

女子高生の小山門出(こやま・かどで)と中川凰蘭(なかがわ・おうらん)。何気ない日常生活を送る2人だが、空には常に巨大な『母艦』が浮かぶ。3年前の8月31日、『侵略者』が突如来襲し――。

浅野いにおが2014年から8年かけて連載した作品である。前後編の映画になると聞いて読み始めたところ、その世界観にどっぷりハマった。

日常と非日常の交錯。何でもないような日々と、未来への不安。小さな物語は、やがて地球全体を揺るがす出来事へと突き進んでいく。

群像劇という側面も持ちながら、中心となるのはやはり門出と凰蘭の2人。本作は、この2人の永遠に続く友情物語でもある。

先週末から映画の前編が公開されたため、早速見に行った。2時間にギュッと凝縮されたストーリーと、想像以上に書き込まれた作画。主人公の2人の声をあてたのは、YOASOBIの幾田りらとあのちゃんなのだけれど、これが予想外にぴったりであった。

後編は5月公開予定。怒涛の2時間となるのは確実である。

浅野いにおデッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』第1巻

浅野いにおデッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』全12巻


(ひ)