本棚からポトリと出てきたのが、15年前に買った『徒然草』(佐藤春夫訳)。
『徒然草』は高校生のときにも古文の授業の教材に出てきたし、その後もひととおり読んだつもりでいたものだが、兼好法師の「つぶやき」の意味は、人生の後半になってこそ、味わいが出てくるように思う。
とくに、59段、108段、167段は、ぐさっと突き刺さった。
今改めて読まれるべくして、本棚から落ちてきたのだと思う。
これも出会いであり、縁。
寸陰を惜しむ人はない。これは悟りきってのうえでのことか。ばかで気がつかないのであろうか。・・・一日のうちに、飲食、便通、睡眠、談話、歩行、などのやむを得ないことのために多くの時間を消失している。その余の時間とてはいくらもないのに、無益なことをなし、無益なことを言い、無益なことを考えて、時を推移せしめるばかりでなく、一日を消費し、一月にわたり、ついに一生を送る。しごく愚かなことである。・・・ (108段)
すみません、スマホいじるの、もうやめます。
(こ)