村上春樹『辺境・近境』(新潮文庫)

 ノモンハンの続編。

 『ねじまき鳥クロニクル』の関係で村上春樹が雑誌の企画でノモンハンを訪ねたことがあると知って、手に取ってみた。ロングアイランドへ行ったり、アメリカ横断したりメキシコ行ったり、瀬戸内海の無人島に逗留したり、香川・うどんツアーしたり神戸行ったり、そんな中に、「ノモンハンの鉄の墓場」という一文が寄せられている(旅したのは19946月)。

 

 ノモンハンで命を落とした日本軍の兵士は二万足らずだったが、太平洋戦争では実に二百万を越す戦闘員が戦死することになった。そしていちばん重要なことは、ノモンハンにおいても、ニューギニアにおいても、兵士たちの多くは同じようにほとんど意味を持たない死に方をしたということだった。彼らは日本という密閉された組織の中で、名もなき消耗品として、きわめて効率悪く殺されていったのだ。そしてこの「効率の悪さ」を、あるいは非合理性というものを、我々はアジア性と呼ぶことができるかもしれない。・・・・

 にもかかわらず、やはり今でも多くの社会的局面において、我々が名もなき消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然とした疑念から、僕は(あるいは多くの人々は)なかなか逃げ切ることができないでいる。・・・・

 そのようにニュージャージー州プリンストン大学のしんと静まり返った図書室と、聴衆からハルピンに向かう混雑した列車の中というまったくかけ離れた二つの場所で、僕は一人の日本人としてだいたい同じような種類の居心地の悪さを感じ続けることになった。さて、我々はこれからどこに行こうとしているのだろう?

 

・・・なんてことを考えながら、村上さんは列車に揺られ、ランドクルーザーに揺られ、うんざりながら、ときどきウィスキーを飲みながら(それすら飲む元気もなくなるのだけれど)、改革開放が本格化する前の中国の雑踏を経てモンゴルの大草原を進む。

 

 突然、筆致が変わるのは、草原でオオカミを狩るシーンである。四輪駆動車に追いかけられ続け、オオカミはとうとう動けなくなった。

 

 チョグマントラは運転手にジープを停めさせ、ライフルの銃身をドアに固定し、照準を狼に合わせる。彼は急がない。狼がもうどこにも行かないことを彼は知っている。そのあいだに狼は不思議なくらい澄んだ目で僕らを見ている。狼は銃口を見つめ、僕らを見つめ、また銃口を見つめる。いろんな強烈な感情がひとつに混じりあった目だ。恐怖と、絶望と、混乱と、困惑と、あきらめと、……それから僕にはわからない何か

 

 かつて数万の日本兵ソ連兵が激しい命のやりとりをした草原で、ひとつの命が消えた。

 ノモンハンが持つ意味、数百キロ四方何もない大草原の中で、意味を持たない数万とひとつの命の持つ意味を見つめる意味。 

辺境・近境 (新潮文庫)

辺境・近境 (新潮文庫)

 

 (こ)

*引用文中の下線部は、原文では傍点で表わされている。