幼馴染のサチ子と修平、そしてコルベ神父の3人の人生を交差させながら、少しずつ息苦しくおかしくなっていく時代の中で、しかしそんな時代だからこそ浮かび上がる人間愛が、静かに、熱く、円熟期の遠藤周作が筆遣いによって紡ぎだされていく。
コルベ神父は囚人の身代わりとなってアウシュビッツで死を迎える。修平は学徒動員されて特攻隊に「志願」する。そしてサチ子は長崎の街で「あの日」を迎える。ボックスカーからファットマンを投下するパイロットが、修平とサチ子の幼馴染のジムであるという設定も、罪深い。
うちの学校の中学3年生は、修学旅行に長崎に行く。
学年主任が「担任団からの夏休みの宿題!感想文提出!」と終業式の日に生徒に配ったのが、『女の一生』であった。(去年は現代文の時間に遠藤周作『沈黙』を扱ったし、その前は林京子『祭りの場』を読んだりと、学年によって違う。)
え、女の一生ですか?、と最初思ったのだが、「ぼく、沈黙、あかんねん」と主任。
その主任がつくってくれた解説プリントには、長崎の地図が載っていて、出てきた地名をペンで囲みながら、80年前の長崎を旅する。
「海と毒薬」「沈黙」「母なるもの」と続いてきた遠藤周作のテーマが、ここに一気に昇華する。何度も胸が熱くなり、ため息をつきながら一気に読む。
浦上天主堂でミサにあずかりながら、あるいは外海の「沈黙の碑」の前に立ちながら、思い出して余韻にひたってみたい。
そしてまもなく、今年も8月9日がやってくる。
(こ)