小山茂仁『私学の民主化 理論と実践』(私学ニュース社)

 すみません、一般にはほとんど手に入らない変な本について書きます。
 「おすすめ」ではないのですが、けっこう(いろんな意味で)自分として考えることが多かったもので・・・。

 

 本書は1980年の刊行で、1970年代に著者が行った講演や著した論考をまとめたもの。著者は京都女子学園の教職員組合委員長や京都私学教職員組合連合書記長などを歴任した、1970年代の京都私学の組合運動をバリバリやっていた人です。当時の京都の組合運動は立命館と京都女子が中心になっていたというから、そのころの組合で行われていた議論をかなり反映させているのではないかと思われます。
 1970年代といえば、学生紛争や70年安保闘争も終わり、一方で高度成長期も終わったころになります。高校進学率が9割に迫り、事実上の全入状態に近づきつつあったころ。また、全国的には革新自治体がピークを迎えており、京都も蜷川革新府政の絶頂期でした。私学行政的には、私立学校振興助成法(私学助成)が成立し、私学関連の法制度が整った時期でもあります。今話題の「給特法」(ホワイトカラーエグゼンプションのさきがけ)が成立したのもこの時期になります。

 

 いや~~~
 時代を感じました。

 

 学園の「民主化」を主張し、自民党保守反動政権と反動経営者をコテンパンに批判し、教育づくりが私学の発展には欠かせないとして、国民のための私学をつくるために公立普通科の増設と並んで私学助成の拡充を要求し、「公費私学」論をぶちまけます。
 そんな主張をしているうちに、自民党文教族のリーダー・西岡武夫氏と、谷岡学園の理事長との鼎談がセッティングされるのだけれど、文教行政にとても詳しい西岡氏と谷岡氏が具体的な話で盛り上がるのに、小山氏だけが観念論を振りかざしてひとり浮きまくっているのは、今にして読めば滑稽でもありました。
 この「対話のなさ」は、この当時の教育学にもあてはまるように思うし、実証主義としての教育学の発展を著しく遅らせたなぁと思うのです。

 1980年代になるとこの路線を批判し「対話」を模索する動きが、京都の私学教職員運動に出てくる。一方で全国レベルでは日教組が分裂し、日教組私学部は全教に参加するとともに、全国私教連として独立を果たす。こうして、共産党のみならず、経営者との対話、保護者との連携、自民党を含む全政党へのアプローチ、という運動が、全国で展開されるようになって、現在にいたる、というわけです。

 今、「教師の働き方改革」が主張され、部活動の見直しや業務の見直しなどが話題になっているのだけれど、今の教師の働き方や権利関係が固まったのが1970年代。あのころ何があって、だから今こうなっている、というのを、この夏の間に掘り起こしてみようと思った次第。

 

 ちなみに借りてコピーとって読んだので画像はなし。ごめんなさい。

(こ)