安彦良和『イエス JESUS』(NHK出版)

 20年ほど前だったか、春休みに、シリアからヨルダンを経て、イスラエルに向かったことがあった。ちょうどイスラム教の「犠牲祭」(神に試されたアブラハムが息子を捧げようとしたことを記念するお祭り)だったので、あちこちで羊を屠って盛り上がっているようすを車窓から眺めながら、ヨルダン川を渡ってエルサレムに入った。遠くに岩のドームが輝くのが見えたときの興奮は忘れられない。オリーブ山にも登って、市街を見下ろしてみた。入植地をつなぐバスに乗って北に向かい、ガリラヤ湖のほとりに立ってみたりもした。鞄の中には岩波版「福音書新約聖書)」を携えていた。2000年前にイエスが通った道を歩きながら読む聖書は、格別だった。

 さて、そうこうしているうちに木曜日。全てのバスが午後4時で運行を停止し、商店もシャッターを閉め始めた。掲示板はすべて「PASS OVER」・・・あっ!「通過」するのは、バスではなくて災いだったのか!!
 ということは、今晩は「最後の晩餐」、明日は「受難の日」、そして日曜日は「復活の主日」。幸い、アルメニア人地区に宿をとっており、隣接するイスラム地区の店は普通に営業していたので、食事は大丈夫。その宿には、深夜になっても次々と客が飛び込んでくる。世界中から巡礼のチャーター機が続々とやってきているらしいのだ。

 改めて宿で聖書を開く。2000年前の今日、イエスはこの街で、弟子たちと最後の食事をとり、初めてのミサを開いた。そしてこれから、イエスはむち打たれ、十字架をかついであの「悲しみの道」を通り、あのゴルゴタの丘の上で死を迎え、聖墳墓教会の下にあった墓地に葬られるのである。

 安彦良和のオールカラー書き下ろし作品。「神の子」イエスに付き従うこととなったヨシュアというひとりの名もない男の目から見たイエスの死。最後の「主の復活」を彼はこのように解釈した、ああ、そうきたか!!

 AEONにいけば、きゃりーちゃんの「イースターイースター♪」という歌声とともに「卵を食べる日です」などというとんでもない復活祭の解説を目にしてしまう昨今、イエスを神の子として認めるかどうかは置いておいても、イエスという男の死の意味については、この週末くらい、考えてみてもよかろう、と思う次第。

愛蔵版 イエス

愛蔵版 イエス

 

(こ)