日本自立生活センター(JCIL)企画編集『障害者運動のバトンをつなぐ』生活書院

 

 観てきました、「グレイテスト・ショーマン」!

 いや~~~~
 よかったっっっ!!

 というか、ヒュー・ジャックマン。あなたこそが最高のショウマンですよ!

 ・・・すみません、読書日記にもかかわらず、あまりにいい映画を観たもので、興奮してしまいました。

 ちなみに映画では、主人公のP.T.バーナム(実在の興行師)が日陰者にされていた障がい者をはじめとしたマイノリティを(たとえ最初は見世物小屋での金儲け目的だったとはいえ)社会参加の道を開いて居場所をつくったという話になっているが、被差別民やマイノリティの居場所としての芸事という観点からいえば、一般論として古来から両者は親和性の高い領域であって、それを網野史学の無縁ーアジールーとの関係で考えてみれば・・・、とか、映画を見終わってからぶつぶつと考えてみる。

 さて、この映画の舞台は19世紀のアメリカであるが、障がい者を社会から隔離しておくという発想は、20世紀になっても続いていた。日本でも、さすがに座敷牢はなくなったものの、人里離れた福祉施設障がい者を住まわせて「お世話してあげる」という障がい者政策が長く続いてきた。

 「バリアフリー」「ノーマライゼーション」という言葉と概念が市民権を得て、こうした理念を具体化するための施策がとられるようになっていくのだが、1981年の国際障害者年がひとつの転機となり、1990年代ごろから次第に定着していったように思う。京都では全国に先駆けて地下鉄にエレベーターが設置され(1981年)、リフト付バスが少しずつ街を走るようになっていった。こうした動きは、映画の中のサーカス団のメンバーが偏見に立ち向かって声を上げ続けたように、「街に飛び出す元気な障がい者」たちがつくってきたのであった。 人権問題として、権利の問題として、尊厳を持つ同じ人間としてのあり方の問題として 、障がい者の社会参加が主張され、移動の権利、自己決定の権利、働く権利、消費者として物を買う権利、市民として社会に参加する権利(さらには「ケガをする権利」「失敗する権利」というものまで含まれる)、こうしたものをいかに具体的に保障するか、粘り強い取り組みが続けられてきたのである。

 本書は、2014年に京都市で行われた「第28回「国際障害者年」連続シンポジウム」の内容をベースに書かれている。

障害者運動のバトンをつなぐ――いま、あらためて地域で生きていくために

障害者運動のバトンをつなぐ――いま、あらためて地域で生きていくために

 

 (こ)