幸田文『流れる』(新潮文庫)

 震災関連の本を読んでいるとき、ふと、OBの国語の先生が生徒に幸田文を紹介していたことを思い出した。たしか『崩れる』だったかな・・・。買おうとしたら、そんな本はなく、『流れる』と『崩れ』が検索された。苦笑しながら、せっかくなので、どっちも手に入れた。

 『流れる』の舞台はとある花街。傾きかけた置屋の住み込み女中となった梨花の目から見た芸妓たちの生活が描かれる。その観察の眼差しは、ときには芸者たちの人間関係に向けられ、芸者ひとりひとりの人生に向けられ、あるときには老犬に向けられ、またあるときには魚屋や酒屋との他愛ないやりとりに向けられる。「しろとさん」である梨花に向けられる花柳界の人々の視線は、梨花を通して外の世界にいる読者へと伝えられ、読者は梨花を通して、箱庭のような花街の暮らしをのぞき込む。

 ふつうならそこで「。」を打つと思わせておいてさらに文章は続いたり、かと思うと短い文章が立て続けにやってきて、その次には、2ページにわたる長い長い段落の中に、これでもかといわんばかりのオノマトペが盛り込まれたり、ペンを使って読み手を自由自在に振り回す幸田文のタクト捌きには、ただただ参りました。この本は音楽だな。

流れる (新潮文庫)

流れる (新潮文庫)

  • 作者:幸田 文
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1957/12/27
  • メディア: 文庫
 

 (こ)

塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上下巻・新潮文庫)

今週,本屋大賞のノミネート作品が発表されました。
今年もまた,珠玉の作品ばかりです。
ノミネート作品については,また改めて紹介していきたいと思います。
 
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さて。
 
塩野七生の作品は,いつも,文庫化されてから読むことにしている。といっても大した理由からではなく,単に,文庫の方が場所を気にせず,ずっと書架に並べておくことができるからなのだが・・・(前にも書いたけれど,単行本だとずいぶん場所を取るのです。)。
 
というわけで,本作品も文庫化されたので早速読んでみた。『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』である。
 
神聖ローマ帝国皇帝・フリードリッヒ二世の生涯を描いた大作である。
 
フリードリッヒ二世は,1194年に生まれ,1250年に亡くなった。時は中世。ローマ教皇(法王)がなお大きな力を持っていた時代である。この時代において,フリードリッヒ二世は,文字どおり東奔西走し,精力的に活動した。
 
塩野七生の筆は,あいかわらず明快である。まるで目の前にいるかのようにフリードリッヒ二世の物語を紡ぎ,時に自らの人生観を差し挟みながらも,読者を中世末期のヨーロッパにいざなう。
 
フリードリッヒ二世が目指したのは,法治国家であり,政教分離の世界であった。だが,少し時代を先取りしすぎたのかもしれない。ルネッサンスが幕を開けるのは,彼の死から半世紀ほど後のことである。
 
皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻 (新潮文庫 し 12-102)

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻 (新潮文庫 し 12-102)

  • 作者:塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/12/25
  • メディア: 文庫
皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻 (新潮文庫 し 12-103)

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻 (新潮文庫 し 12-103)

  • 作者:塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/12/25
  • メディア: 文庫
(ひ)

福和伸夫『必ずくる震災で日本を終わらせないために。』(時事通信社)

 25回目の1.17を迎えた。あの朝、9時から始まる試験のために一夜漬けの追い込みをかけていたところ、下からドンと突き上げがきて、部屋が平行四辺形になった。京都は震度5であったが、試験が終わって入った西宮や神戸の姿は、今でも忘れられない。南海トラフ地震も必ずくるけれど、大都市直下型地震もまた、いつか必ずくる。

 著者は建設会社に勤務した後、大学に戻り、現在は名古屋大学減災連携研究センター長である。「減災連携」という名の示す通り、行政や企業の担当者を巻き込み、ホンネの議論をぶつけ合いながら、来るべき震災の時に中京圏で何が起きるかをシミュレーションし、対策を練り上げていく、地道な作業を積み重ねている。電気が供給されない、水がない、ガスがない、石油が入ってこない、病院は機能しない・・・。

 言えば言うほど、日本の評価が下がってしまう問題です。夢のある話ではありません。江東デルタ地帯でやろうとしている東京オリンピックパラリンピックも止まってしまうし、埋立地での大阪万博もできなくなってしまう。
 危険なところに超高層ビルを建て、デべロッパーが儲け、そのお金が政治に流れていくようなシステムは成り立たなくなる。お金儲けの立場からは、言ってほしくない、見たくない部分がいっぱい。見たら、いろいろ不都合になるでしょう。でも、見なければなりません。

 南海トラフ地震からの復旧は、3日や1週間で終わるようなものではなく、個人レベルで備えることができることには限界がある。それでもやはり、まずは個人ができることから始めるべきなのだろう。必ずくる震災で日本を終わらせないために。

必ずくる震災で日本を終わらせないために。

必ずくる震災で日本を終わらせないために。

 

 (こ)

坂井孝一『承久の乱』(中公新書)

当ブログで紹介した川越宗一『熱源』が,見事に直木賞を受賞しました!
推していた作品が受賞するのは,実に久しぶりです。
それにしても,デビュー2作目での受賞とは・・・恐れ入ります!

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さて。

NHKの2022年の大河ドラマが,北条義時を主人公とする「鎌倉殿の13人」に決まった。・・・義時,実はあまりよく知らない。ということで読んでみたのが,坂井孝一『承久の乱』。1年ほど前に出たばかりの新書である。

白河院政の成立から始まる大きな歴史の流れの中で,承久の乱はどのように位置づけられるのか。また,鎌倉幕府はどのように成立・発展し,後鳥羽院と対立していったのか。様々な文献や最新の研究成果を引用しつつ,教科書からではうかがい知れない「承久の乱」の姿が描き出される。

本書によれば,後鳥羽院は,決して時代の流れが読めない無能な人物などではなく,芸能・学問に秀でた有能なリーダーであった。そして,後鳥羽院の朝廷と源実朝鎌倉幕府は,親密な協調関係を築いていたのであって,予想外の実朝暗殺事件により,この協調関係に揺らぎが生じた。

最近の研究によれば,後鳥羽院は,「倒幕」ではなく,「北条義時追討」のみを目指していたという。そのため,最近の教科書では「倒幕」「討幕」という表現は少なくなっているとのこと。教科書も,どんどん変わっていく。

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)


(ひ)

大滝世津子『幼児の性自認 幼稚園児はどうやって性別に出会うのか』(みらい)

 『貞観政要』、今月のNHK「100分de名著」で見ています。忖度しないこと、公正であること・・・。

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 ところで、うちの下のチビ(♀、もうすぐ4歳)が、最近「女の子」になってきた。これまではお兄ちゃんのマネばかりして、お兄ちゃんのお下がりをもらって喜んでいたのに、突然、口の利き方からお絵かきで描く人の表情や色使いまで、すっかりクラスの「女子」たちの仲間入りをしてしまった(機嫌が悪いと「もう、あそんであげへん」と言うようになったので、きっとそんなことも言われているのだろう、なかなか気苦労も多そうだ)。
 そんな園で、ある保護者さんが中心になって「ジェンダーフリー」化を進めようという動きがあって、職員の働き方改革や制服業者の廃業問題があって制服の見直しをしたかった園が渡りに船と乗ってきた。うちのチビの学年が、どうやら制服のスカートをはく最後の世代になるらしい。

 さて、本書は、ある幼稚園での参与観察を通して、幼稚園に入園したばかりの3歳児たちがはじめての集団生活を通して自身のジェンダーを認識していくプロセス(性自認)を社会学の方法論に則って記述したもので、東京大学に提出された博士論文を再構成している。学者一家に育った著者だけに、その記述と分析は非常に抑制が効いていて、隙がない。それでいて、著者の人柄が行間からにじみ出まくっているので、読んでいてほっこりする。さらに保護者目線で読むから、観察対象の園の光景が目に浮かぶようである。

 おもしろいのは第6章で、ある園児(♀、上にお兄ちゃんがいる)は「今はちっちゃいから女の子だけど、4歳になったら男の子になるの」と信じていて、実際に彼女は、自らの性についての認識が女の子と男の子の間で揺れ動きながら、最後は自分を男の子として認識して男子集団に帰属し、周囲もそれを認めるようになる。ジェンダーが主体的に選び取られたのである。

 そんなこんなで、女子集団の中で揉まれて、女子としての所作振る舞いを身につけているうちのチビは、これからどんな「女の子」になっていくのだろう。

 なお、著者は現在、大学を辞めて、生まれ故郷の鎌倉で、これまでになかった学童保育を立ち上げた。がんばれ、大滝さん。

幼児の性自認―幼稚園児はどうやって性別に出会うのか

幼児の性自認―幼稚園児はどうやって性別に出会うのか

  • 作者:大滝 世津子
  • 出版社/メーカー: みらい
  • 発売日: 2016/08/20
  • メディア: 単行本
 

 (こ)

呉兢『貞観政要』(守屋洋訳,ちくま学芸文庫)

正月明けにふらりと入った書店で,呉兢『貞観政要』が平積みになっていた。前から興味を持っていたので,読んでみることに。

唐の太宗(李世民)とその臣下との政治問答集であり,太宗の没後,呉兢によって編纂されたものである。日本では,帝王学の教科書としても名高い。

もっとも,ここ書かれているのは,「臣下の諫言には耳を傾けよう」「自分の感情を抑えて,謙虚になろう」などという,ごく当たり前のことばかりである。このような当たり前のことをなかなかできないのが,人の人たる所以であろう。

個人的には,読書の勧めについて書かれた説話(187頁)がよかった。書物の重要性は,今も昔も変わらない。

貞観政要 (ちくま学芸文庫)

貞観政要 (ちくま学芸文庫)


(ひ)

猫組長『金融ダークサイド』(講談社)

 この年末年始、除夜の鐘の鳴る日にあちこちから「ゴーンが」「ゴーンが」と鳴り響いたかと思えば、イランの司令官をアメリカが爆殺して「すわ戦争か」と肝を冷やした。この両者を結ぶ1本の線が、「カネと暴力」である。結局、圧倒的な軍事力を背景に、ドルを握るアメリカが国際金融の表も裏もがっちりと抑えていて、この覇権体制に挑戦する動きをアメリカは許さない。

 カルロス・ゴーン氏の逮捕劇においては、猫組長のtwitterが早い時期からマネーロンダリングという観点から「黒」認定していて、なかなかおもしろく読ませてもらっていたので、それをまとめたような本書は今読む本としてタイムリーであった。

 だからといって、非情な金融の世界がわかったわけではない。
 恥ずかしながら、「こういう世界があるんやなぁ」以上でも以下でもない、というのが感想である。

 (こ)