猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)

 今年の8月のNスペも、ガダルカナル、戦争を煽るメディア、二・二六事件昭和天皇「拝謁録」と、盛りだくさんであった。TBSでも綾瀬はるか被爆者とシベリア抑留体験者に話を聞いていたし、年に一度、こういう時間があることは大事なことだと思う。

 さて、そんな中で、猪瀬直樹氏がFacebookでしきりに本書のことに触れているので、買ってみた。

 昭和16(1941)年春、平均年齢33歳の精鋭36人が、省庁、軍、官民の垣根を超えて集められた。「総力戦研究所」である。独ソ戦の開始とアメリカの戦略物資禁輸を受けて、夏、彼らに机上演習の課題が与えられる。
 「もしも日本が蘭印の石油を確保しようと軍を動かした場合、どのような結果になるか?」
 模擬内閣が組閣され、内閣は教官(=統帥部)とやり合いながら、刻々と変化する状況に合わせてシミュレーションの条件も変化する。そうした中でたどりついた結論は、「対米開戦は日本必敗」というものであった。
 しかし、ホンモノの東條内閣は、このシミュレーション結果を一蹴する。果たして、事態はシミュレーションの通りに進行し・・・。

 本書が最初に刊行されたのは1983年。本書以外にもあの戦争をめぐる「失敗」についての検証は進んでいて、30年以上経った今とも評価はそう大きく違わなかったのではないかと思う。その後、日本はバブルに浮かれて「過去の失敗」を検証する目を曇らせてしまったのではないかとも思わせる。

 本書を読んで思ったことは2つ。

 机上演習という共同作業の「教育効果」の大きさ。

 そして、もうひとつ。東京オリパラを知事として誘致し(おそらくは五輪利権をめぐる権力闘争に敗れて退場し)た御仁は、ウソで固められた招致理由と、その後予想通りみるみるふくれあがった開催経費と、大腸菌あふれる真夏のお台場でスイムというアスリートファーストとはとても思えない「おもてなし」について、どう考えているのだろうか。まさに猪瀬氏が描き出した戦前の体制そのままであって、猪瀬氏もその「中の人」ではないか。

 もっとも本書が良書であることには、変わらない。

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

 

 (こ)

道尾秀介『いけない』(文藝春秋)

真夏の暑い夜に,少しひんやりするダークなミステリを。道尾秀介『いけない』。
 
先週紹介した伊坂幸太郎の作品は小説とイラスト(コミック)とのコラボレーションであったが,こちらの作品は小説と写真のコラボレーション。4話からなる連作短編集で,それぞれの短編の最後に,写真が1枚。その写真を見ると,隠された謎が・・・という趣向である。
 
第1話は正直,ちょっと細かいな,と思った(読み応えはあったけどね)。第2話は,おっ,と感じさせた。
 
秀逸なのは第3話。最後の写真1枚でびっくり。う~ん,これはなかなか。
 
第4話は想像のちょっとだけ斜め上をいく写真でした。
 
たまには,こういう変化球ミステリもいいかも。
いけない

いけない


(ひ)

赤川次郎・新井素子・石田衣良・荻原浩・恩田陸・原田マハ・村山由佳・山内マリコ『吾輩も猫である』(新潮文庫)

 「文藝春秋」を買ってしまった。 「むらさきのスカートの女」を読むためだ。芥川賞文藝春秋の宣伝のためにあるわけだから、まさに菊池寛先生の思う壺である。
 社会学者・古市くんへの選評もネットで話題になっていたので、気になっていた。なるほど辛辣。これがきっかけで大村友祐「天空の絵描きたち」が書籍化されることになるのだろうか。
 ちなみに今月号、菅義偉小泉純一郎の対談が「自民党の広報誌ですか?」というくらい長々と掲載された後、韓国への悪口が延々と続いたかと思えば、半藤一利伊東四朗東京大空襲を語り、春風亭昇太が難攻不落の城について熱い思いを吐き出し、東電元社員が福島第一原発事故の真相を告発したり、さすが総合雑誌

どうやら、私は「猫」と呼ばれるものであるらしい。 ー赤川次郎

妾(わたくし)は、猫で御座います。 ー新井素子

「わたしたちネコ族と違って・・・」 ー石田衣良

吾輩は猫である。鼠は嫌い。 ー荻原浩

ワタクシは猫であります。 ー恩田陸

俺は猫だ。名前だって、ちゃんとある。 ー原田マハ

あたしは、猫として生まれた。 ー村山由佳

あたしは猫。サビ猫。名前なんてないわ、だってノラだもん。 ー山内マリコ

 

漱石没後100年&生誕150年の記念企画。
日本近代文学の金字塔へのリスペクトと、猫への愛にあふれた一冊である。

 

伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』(NHK出版)

書店で新刊が並んでいるのを見ただけで,読みたい,と思わせる作家がいる。ここ数年は伊坂幸太郎がそうである。

というわけで,新刊『クジラアタマの王様』。

製菓会社の広報部で働くサラリーマンの「僕」。人気タレント「小沢ヒジリ」のふとしたコメントで,新商品の人気に火が付いたのだが・・・。

伊坂幸太郎のサラリーマン小説ってひょっとしたらめずらしいのかも・・・とか思っていると,案の定,話はちょっと不思議な方向へ進む。

本書はイラストレーター・川口澄子とのコラボレーション作品でもある。バンド・デシネ風のコミックパートが,ところどころに挿入されている。その意図は「あとがき」にも記されているのだけれど,新鮮でなかなかおもしろかった。

クジラアタマの王様

クジラアタマの王様


(ひ)

ヨーロッパ企画第39回公演「ギョエー!旧校舎の77不思議」(作・演出 上田誠)

読書じゃなくてごめんなさい。

今年も始まりました、ヨーロッパ企画全国ツアー。
今日がツアー初日の京都公演でした。で、今年も生徒と一緒に行ってきた。

今年は「学校の怪談」。走り回る人体模型、トイレの花子さん、徘徊する日本兵、平家の落武者、人面瘡、笑う音楽室の肖像画、などなど。

前半は小ネタを立て続けにぶっ込みながら進行する客演さん中心の学園コメディ、あれあれ、と思うと後半、悪霊や妖怪に扮したレギュラーメンバーが舞台を乗っ取り、怪しくおかしいいつものヨロ企さんの世界が現れて・・・でもやっぱり、ちょっぴりホラー風味も忘れずに。

ああ、今年も、おもしろかった。

http://www.europe-kikaku.com/projects/e39/

 

 

新海 誠『小説 天気の子』(角川文庫)

前作『君の名は。』は公開直後に見に行った。ものすごく感動した。感動して,パンフレットや関連書籍やCDを一通り買って,読み,聞き込んだ。

さて,その新海誠監督の新作『天気の子』。こちらも公開直後に見に行った。

・・・随分,攻めたなあ。

君の名は。』は,どちらかというと「多数の側」に立った祝祭の映画だったように思う。だから万人受けし,その結果,あんなにヒットした。他方,『天気の子』は,間違いなく「少数の側」に立った作品であった。

何を書いてもネタバレになりそうなので控えておくが,いろいろ考えさせられた。

映画鑑賞後,小説版に当たる『小説 天気の子』も読んだ。単にストーリーをなぞったものではなく,映画版では描かれなかった登場人物らの内面,来歴等にも触れられていて,映画への理解が進んだ。なるほど,だからあそこであんな・・・とか。

小説版の「あとがき」で新海誠監督は言う。

「映画は(あるいは広くエンターテインメントは)正しかったり模範的だったりする必要はなく,むしろ教科書では語られないことを――例えば人に知られたら眉をひそめられてしまうような密やかな願いを――語るべきだと,僕は,今さらにあらためて思った。」(295頁)

やっぱり,攻めてるなあ。
もう一度,見に行こうかな。

(8月4日追記)結局,もう一度見に行った。いや~,良かった。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)


(ひ)

Shinichi Aizawa, Mei Kagawa, Jeremy Rappleye (ed.), High School for All in East Asia: Comparing Experiences (Routledge Studies in Education and Society in Asia)

某雑誌からこの本の書評を依頼されて2400字にまとめなければならず、というわけで今週はこれにかかりっきりでした。

日本、韓国、台湾、中国、ベトナム、香港、シンガポールにおける「高校教育拡大」の比較研究で、欧米のケースをもとに理論化されてきた教育拡大と経済成長の社会経済モデルに一石を投じるものとなっています。

11人の著者はほとんどが30代の日本人あるいは日本を研究の拠点とする若手研究者というのもあまりなかったもので、日本から英語で国際的な研究水準の世に出したというのも教育社会学の世界では珍しく、世界中の大学図書館に日本研究や東アジア研究の基本書のひとつとして並ぶことになります。
そしてなにより、若手研究者に研究資金と4年間の時間を与えればこれだけの成果が出せます、ということでもあります。吉本に100億円出すなら、こちらへもぜひご一考を。

High School for All in East Asia: Comparing Experiences (Routledge Studies in Education and Society in Asia)

High School for All in East Asia: Comparing Experiences (Routledge Studies in Education and Society in Asia)

 

 (こ)