隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書)

 AIの前には文系も理系もないだろうといわんばかりのこのご時世にあって、高校生は新学期の科目選択を前に「文系だから数学とらない」だの「理系だからとりあえず物理と化学」だの、そういうことに頭を悩ましている。

 そんな光景を横目に、タイトルから「もはや文系だの理系だの言っている場合ではない!」というような本かと思って手にしたのだが、中身はがっつり科学史の本だった。

 意外にも、著者は文系理系の区分にそれなりに理由を見つけていた。科学が宗教から切り離される過程で、(神から離れて)客観的にすべての現象をとらえようとする立場と、(神の目ではなく)人間中心の世界秩序を追い求めようとする立場は、厳然としてあるからである。ただし、理系も一枚岩ではないし、文系もまたそうである。

 科学史から見た日本の大学の現状にも記述は進む。
 西洋における科学の歴史(ディシプリンごとに「分科」した「学問」)があって、それとは対照的に東洋では「道の探究」がめざされつつ、「学術」は一段低いものとして市井の人材によって担われてきたという。そして近代日本の150年は国家建設と経済成長のために「役に立つ学問」の歴史であり、それは現在の大学の置かれた状況にもつながってくる。
 そういれば、苅谷剛彦オックスフォード大学教授は、イギリスの大学は近代国家に先行して存在し、大学が国家をつくったという強烈な自負に支えられているのに対し、日本の大学は近代国家によって国家のためにつくられたという比較をしているが、そういう大学の歴史とも無縁ではない。

 本書は他にも、学問におけるジェンダーの問題、就職の問題、学際的研究の問題にも触れている。「近代と知」についての頭の整理になった。

 (こ)

植本一子『フェルメール』(ナナロク社・ブルーシープ)

直木賞,予想外れた~!
しかも受賞作,読んですらいない~!!
未読作が受賞するのは,実に2年半ぶりである。う~ん,不覚。

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さて。

フェルメール。現存する絵はわずか35,6作品程度(真贋等をめぐって争いあり)。いずれも珠玉の作品である。

僕はこれまでフェルメールの絵を追いかけてきた。日本で開催される企画展はもちろん,海外出張の際には,週末を利用して,あちこちの美術館を訪問した。昨年末までに直接見たのは,29作品に及ぶ。我ながら,よく見たものである。

先週,まだ見ていない作品が来日するというので,早速見に行った(上野の森美術館フェルメール展』)。

・・・やはりすごかった。圧倒された。
これで,30作品。

帰り際,ミュージアムショップで買ったのが,植本一子『フェルメール』。

写真家である筆者が,世界各地の美術館を訪問し,フェルメールを見て回るという本である。もちろん写真も豊富なのだが,文章も秀逸。筆者と一緒に,美術館を訪れているような感覚に陥る。「あとがき」には,ちょっと感動させられた。

一般のカタログ本とは大きく異なる,旅情あふれる本。やっぱり,西洋の街にとけ込んだ美術館というのは,いいなあ。

フェルメール

フェルメール

(ひ)

呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書)

 最近、中世史が元気いい。2016年の『応仁の乱』を嚆矢として、『観応の擾乱』『承久の乱』などと立て続けに新書が出てきている。
 本書は『応仁の乱』の呉座氏が、中世史にまつわる「陰謀論」や俗説を、次々となで斬りにしていくものである。

 保元・平治の乱、鹿ケ谷事件や義経追放劇、暴君・頼家と実朝暗殺、南北朝の動乱観応の擾乱応仁の乱本能寺の変関ヶ原、と、日本の中世政治史ががっつりとおさらいできる。
 本文中には振り仮名や家系図もちゃんとついていて、一般向けのつくりでありながら、記述の方法はしっかりと歴史学の作法を守り、先行研究の批判的検討と史料にもとづいて手堅く「事実」を積み上げながら、検証が進められていく。抑制の効いた文章ではあるが、熱量はかなり高い。

 「誰かが猫の首に鈴をつけなければならない」という著者が訴えるように、本書は日本中世史における陰謀論を通して、次々と湧き出してくる「陰謀論」とそれを支持する心性のメカニズムを明らかにし、歴史学者として警鐘を鳴らす。その矛先は「反日勢力の陰謀」「日本会議の陰謀」という言葉が躍る昨今の「知的態度として極めて危うい」政治的言論にも向けられる。

 呉座氏は現在、日文研に所属。彼も故梅原猛氏の置き土産のひとりである。

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

 (こ)

塩野七生『十字軍物語』第1巻・第2巻(新潮文庫)

年末年始はこれを読んで過ごした。塩野七生『十字軍物語』第1巻・第2巻。

単行本としては7,8年ほど前に出ていて,当時から興味を持っていたのだが,文庫化されるのを待っていたものである(塩野七生の本は単行本だとものすごく場所を取るので,文庫でそろえているのです。)。第1巻と第2巻は,第一回十字軍のはじまりから,第三回十字軍の前夜までを描く。

十字軍については,大学入試程度の知識止まりで,それ以上のことは正直よく知らなかった。この本は,その十字軍の始まりから,行軍や戦闘はもちろん,日々の生活についてまで,余すところなく伝えてくれる。

「戦争とは,諸々の難題を一挙に解決しようとしたときに,人間の頭の中に浮かび上がってくる考え(アイデア)である」。冒頭から塩野思想が満開である。

第3巻と第4巻は2月に出るとのこと。これらもまた読んでみたい。


十字軍物語 第二巻: イスラムの反撃 (新潮文庫)

十字軍物語 第二巻: イスラムの反撃 (新潮文庫)

(ひ)

村上春樹『辺境・近境』(新潮文庫)

 ノモンハンの続編。

 『ねじまき鳥クロニクル』の関係で村上春樹が雑誌の企画でノモンハンを訪ねたことがあると知って、手に取ってみた。ロングアイランドへ行ったり、アメリカ横断したりメキシコ行ったり、瀬戸内海の無人島に逗留したり、香川・うどんツアーしたり神戸行ったり、そんな中に、「ノモンハンの鉄の墓場」という一文が寄せられている(旅したのは19946月)。

 

 ノモンハンで命を落とした日本軍の兵士は二万足らずだったが、太平洋戦争では実に二百万を越す戦闘員が戦死することになった。そしていちばん重要なことは、ノモンハンにおいても、ニューギニアにおいても、兵士たちの多くは同じようにほとんど意味を持たない死に方をしたということだった。彼らは日本という密閉された組織の中で、名もなき消耗品として、きわめて効率悪く殺されていったのだ。そしてこの「効率の悪さ」を、あるいは非合理性というものを、我々はアジア性と呼ぶことができるかもしれない。・・・・

 にもかかわらず、やはり今でも多くの社会的局面において、我々が名もなき消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然とした疑念から、僕は(あるいは多くの人々は)なかなか逃げ切ることができないでいる。・・・・

 そのようにニュージャージー州プリンストン大学のしんと静まり返った図書室と、聴衆からハルピンに向かう混雑した列車の中というまったくかけ離れた二つの場所で、僕は一人の日本人としてだいたい同じような種類の居心地の悪さを感じ続けることになった。さて、我々はこれからどこに行こうとしているのだろう?

 

・・・なんてことを考えながら、村上さんは列車に揺られ、ランドクルーザーに揺られ、うんざりながら、ときどきウィスキーを飲みながら(それすら飲む元気もなくなるのだけれど)、改革開放が本格化する前の中国の雑踏を経てモンゴルの大草原を進む。

 

 突然、筆致が変わるのは、草原でオオカミを狩るシーンである。四輪駆動車に追いかけられ続け、オオカミはとうとう動けなくなった。

 

 チョグマントラは運転手にジープを停めさせ、ライフルの銃身をドアに固定し、照準を狼に合わせる。彼は急がない。狼がもうどこにも行かないことを彼は知っている。そのあいだに狼は不思議なくらい澄んだ目で僕らを見ている。狼は銃口を見つめ、僕らを見つめ、また銃口を見つめる。いろんな強烈な感情がひとつに混じりあった目だ。恐怖と、絶望と、混乱と、困惑と、あきらめと、……それから僕にはわからない何か

 

 かつて数万の日本兵ソ連兵が激しい命のやりとりをした草原で、ひとつの命が消えた。

 ノモンハンが持つ意味、数百キロ四方何もない大草原の中で、意味を持たない数万とひとつの命の持つ意味を見つめる意味。 

辺境・近境 (新潮文庫)

辺境・近境 (新潮文庫)

 

 (こ)

*引用文中の下線部は、原文では傍点で表わされている。

直木賞大予想 & 本屋大賞ノミネート大予想

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて,今月半ばに迫った直木賞発表と,その翌週に控えている本屋大賞ノミネートの発表。新年1回目になるこの投稿では,これらの予想をしてみたいと思います。

まずは,直木賞から。僕の予想は,森見登美彦『熱帯』

これまで当ブログ内でせんせいが2回,僕が1回取り上げた森見登美彦。これだけのキャリアを誇りながら,直木賞はまだ未受賞だったところに,今回のこの力作にして怪作『熱帯』がノミネート入りしました。僕も相当,のめり込んだ1冊でもあります。

ネックはその構成。複雑な入れ子構造や,メタフィクションという手法は賛否両論を呼びそうですが・・・。

対抗馬は,垣根涼介『信長の原理』。ただ,蟻の数,ちょっと多すぎない?

発表は1月16日(水)の予定です。

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続いて,本屋大賞ノミネートの予想。過去1年間に出版された全ての文芸書の中から,「いちばん売りたい本」を書店員の投票で選ぶという大イベントです。今年は1月22日(火)にノミネート作10作品が発表される予定です(大賞発表は4月)。

僕の予想は,以下のとおりです。

まずは,若手作家の作品として,瀬尾まいこ『そして,バトンは渡された』と,深緑野分『ベルリンは晴れているか』

『そして,バトンは渡された』は本当にいい話だったなあ・・・と思っていたら,昨年暮れに「ブランチBOOK大賞2018」を受賞しました! いやあ,うれしい。『ベルリンは晴れているか』は,「このミステリーがすごい!」の2位,「週刊文春ミステリーベスト10」の3位に入っただけでなく,直木賞の最終候補にも入りました。これだけ骨太の作品がきちんと評価されているというのは,やはりうれしいところです。

次に,中堅・ベテラン作家の作品として,伊坂幸太郎『フーガはユーガ』三浦しをん『愛なき世界』。両作品ともに,安心感・安定感がありました。なお,三浦しをんは『ののはな通信』という作品も出していて,こちらも評判が高いようなのですが,実は僕は未読なのです。

あと,純文学作家の作品として,平野啓一郎『ある男』。読み応えがありました。

これらの中から,1作か2作でも,ノミネート入りするといいなあ・・・。

(ひ)

安彦良和『虹色のトロツキー(1)~(8)』(潮出版社/中央公論新社)

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

1月最初の授業、2時間連続のコマがとれたので、去年の終戦の日のNスぺ「ノモンハン―責任なき戦い」を見せようと思う。(一昨年の「インパール」に続き、Nスぺの終戦特集は昨年も徹底的にぶっこんできた。今年は何か。)
ただいま補助教材の準備中。

調べれば調べるほど、反吐が出る。

 

ノモンハン事件は、司馬遼太郎が書かなかった戦争として有名であり、そのあたりについては半藤一利が『ノモンハンの夏』に関連していろいろと記しているし、多くの人がノモンハン事件について語っている。

そんな中で異彩を放っているのが、安彦良和の『虹色のトロツキー』である。

 

舞台は1930年代の満洲。日蒙混血の青年ウムボルトのたどった数奇な運命を描いた作品である。石原莞爾東条英機甘粕正彦松岡洋右川島芳子李香蘭山口淑子)、辻政信岸信介という実在の人物が次々と登場する。満洲国の美しく甘い理想と、策謀うずまく現実とが織りなすドラマは圧巻。

虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)

虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)

 

(こ)